1929年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒、フランス文学者、文芸評論家。筑波大学教授を務め、その後杏林大学教授。天皇崇拝家で、現天皇の即位の当時、左翼に家を焼かれた。日本古典、キリスト教、中東問題等関心は幅広かった。『死の日本文学史』は代表作。1982年フランス政府よりパルム・アカデミック(学芸)勲章、オフィシェ級を贈られる。1987年、木戸孝允を描いた小説『醒めた炎』を中心とした業績により第35回菊池寛賞を受賞。1994年5月死去。女優村松英子は妹。
3月の「名言との対話」用に読むべき19冊を注文しました。 「名言との対話」は、366日の日々の命日と誕生日にあたる人物を選び、生涯とその人の発した名言を調べ、教訓を得て記すという行為です。命日編、誕生日編、平成命日編、平成命日編②、戦後編を経て。6年目にあたる今年は「大正から昭和へ」かけて誕生した人物を対象にしています。私の父母と同世代の人物を追いながら、その時代を感じようという試みです。 3月について、人選と資料選びが一応終わり、以下の本を注文。 舞踏、まさにそれゆえに――土方巽 曝かれる裏身体 河村 悟 狼よ、はなやかに翔べ (1982年) (角川文庫) 藤原 審爾 男 この言葉 (新潮文…
昨年、文春新書から『内閣調査室秘録』という本が出た。佐藤栄作内閣の後期に設けられたもので、保守派の学者・評論家を呼んで話を聞いた経緯を、志水民郎という人が記録しておいたのを、登場人物別に編纂したもので、江藤淳、山崎正和、中嶋嶺雄、永井陽之介、村松剛、見田宗介、関寛治、関嘉彦などで、保守でない人も一割くらいいるが、常連は保守だったらしい。 別にさほど新しい情報ではないのだが、『みすず』新年号のアンケートで坪内祐三がこの本をあげて、江藤淳がのち山崎や中嶋を批判したのは、お前らが米国に協力したのは自分も知っているぞという意味だったと書いていた。しかし調査室は別に米国機密機関ではないし、佐藤は沖縄返還…
文学賞というのは表向きその本の実力によって選ばれていることになっているが、無論、人間がやっていることなので、1から10までフェアということは有り得ない。『万延元年のフットボール』が谷崎潤一郎賞をとるという納得のいく結果もあれば、功労賞としか思えないような凡作が受賞することもある。そこには、選考委員や出版社の思惑が複雑に絡み、独特の力学が発揮される。文壇、演劇界のボスとして君臨した久保田万太郎にいたっては、自宅の茶の間で「今度は誰にやろうかな」と言っていたらしい(後藤杜三『わが久保田万太郎』)。 こうした「賞」における政治的バランスを念頭に入れながら、結果を予想するという試みを行ったのが、大森望…
切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー金井美恵子 第8回文芸雑誌「海」の表紙③ umi1.jpg 「海」(中央公論社)1970年1月号表紙/表紙作品:加納光於 表紙構成:田中一光 前回、「海」には三島由紀夫が追悼されていなかったと書いたのだったが、いわゆる「三島由紀夫事件」は1970年11月25日のことで、文芸雑誌の雑誌編集者や執筆者は、12月に発売される新年号の最終的なしめ切りを前に一番多忙な時期である。 私の本棚にある文学関係の資料はごく限られたわずかなもので、筑摩版『大岡昇平全集』別巻に収録されている埴谷雄高との対談『二つの同時代史』(註・1)によれば、この年は第6回谷崎潤一郎賞を埴…
「三島由紀夫=ゲイ」という等式を疑う人は、今ではほとんどいないと思われる。俺も三島由紀夫の文章や、彼について書かれた物を読む時は、そのこと意識している。というか、半ば常識として捉えているといったほうが正しいか。 だから、週刊誌『平凡パンチ』の編集者で、三島由紀夫を担当していた椎根和が書いた『完全版 平凡パンチの三島由紀夫』で、次のような文章を読んだ時は少し驚いたのだった。 三島の剣道の弟子として、稽古をつけてもらった約一年強の間に、約50回ほど、一緒に風呂に入り、先輩に対する礼儀として背中を流した。しかし一度も、触られたり、なぜられたりすることはなかった。三島がホモだという噂は知っていたが、あ…