一 平成十年の夏、私は先祖代々住んできた萩市を後にして山口市に居を移した。その時古い桐箱を持ってきた。箱はすっかり変色して黒ずんでいた。箱蓋の右上に紙が貼ってあり、「梅屋七兵衛 毛利家御用にて長崎下向ノ一件書類 願書併勤功書」と墨書してある。「長崎下向ノ一件」とは曾祖父が慶應二年から三年にかけて、武器を調達するために長崎へ、さらに上海へまで行った事に関連したものである。箱にはこれとは関係の無い書簡など雑然と混じっていた。私はこれらの中から関係書類ではない一通の手紙(手記)を見つけて読んで見た。今回それについて少し書いてみようと思う。 「手記」は、大賀幾介(幾助とも綴る 号は大眉)という人物を中…