「バシッ」という音がした。 次の瞬間、大内久の目に青い光が走った。 それがチェレンコフ光——核分裂連鎖反応が始まったときにのみ発生する、死の証明——であることを、その時の大内は知らなかった。 推定17シーベルト。致死量の2倍以上の放射線が、ほぼ瞬時に彼の体を貫いた。 なぜ規則通りに動いた現場作業員が、日本初の核臨界事故の犠牲者となったのか。 その朝、大内久はいつも通り出勤した。 東海村の朝 茨城県東海村にあるJCO核燃料加工施設。「転換試験棟」と呼ばれる一室で、その朝3人の作業員が仕事を始めた。 大内久(35歳)、篠原理人(40歳)、横川豊(54歳)。 彼らに与えられた仕事は、硝酸ウラニル溶液…