天正10年(1582年)〜寛永16年9月18日(1639年10月14日) 日本の江戸時代初期の僧侶、文化人。俗名は中沼式部。堺出身。 真言宗の僧侶としてでなく、書道や絵画、茶道の分野でも活躍。特に書道は近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称せられる能書家だった。なお、松花堂弁当については、その名が昭乗に間接的に由来するとする説がある。
今日の冷え込みで、イチョウも紅葉もすっかり葉を落としました。 日当たりにもよるのでしょうか、弁天さまの近くはまだ色づいています。落ち葉を掃き清めながら、秋の名残を楽しみたいと思います。先日、普濟寺に伝わる鴨長明(1155~1216)絵像の掛け軸について書かせていただきました。絵は、松花堂昭乗(1584~1639)の弟子にあたる萩之坊乗円(1612~1675)が描き、絵の上部には、石川丈山(1583~1673)による長明の和歌が書き加えられているものです。 www.mizu-kuki.work この度、この絵像に関する拙稿「萩之坊乗円筆「鴨長明絵像」(石川丈山歌賛)について」が、『唱導文学研究』…
お中日を過ぎて、秋のお彼岸も後半に入ってきました。 彼岸花 彼岸花も、キレイに咲いています。お地蔵様も微笑んでいますね。 さて、今回もお寺に伝わる掛け軸を紹介したいと思います。 中世隠者の一人、鴨長明(1155~1216)の絵像です。 鴨長明かもの-ちょうめい1155?−1216平安後期-鎌倉時代の歌人。久寿2年?生まれ。父は京都下鴨神社の神職。琵琶や和歌にすぐれ,後鳥羽上皇の和歌所寄人にとりたてられる。元久元年下鴨河合社の禰宜に推されたが,一族の反対で実現せず出家。大原へ隠棲後,日野に方1丈の庵をむすぶ。「千載和歌集」に1首,「新古今和歌集」に10首はいる。建保4年閏6月8日死去。62歳?通…
スーパー文化人~~~~? 本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)(1558~1637年)は京都生まれ。 レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ変わり?と言われている芸術家です。 その凄さをこの展覧会でたっぷりと見て来ました。 ★本阿弥光悦坐像 伝本阿弥光甫作 江戸時代・17世紀 本阿弥家は刀剣の研ぎ、鑑定を行う一族。豊臣秀吉が設置した刀剣の鑑定をする部署で活躍しました。 光悦は幼いころから刀剣の価値を見定める審美眼を磨き、のちに徳川将軍家や大名たちにも一目置かれる存在でした。 ここで磨かれた審美眼は「書の達人」として、あるいは「国宝の光悦蒔絵(漆工芸)」や「国宝の陶芸」などなどに発揮されています。 その業…
[0701]現二条城を造営したのは【 】である。(2011)[0702]三すくみのジャンケンで勝ち負けを競う「拳」は、お茶屋の代表的な遊びの一つであるが、浄瑠璃の『国姓爺合戦』にちなむ拳を【 】という。(2020)[0703]延暦4(785)年、長岡京造営の中心人物でもあった藤原種継が暗殺される事件が起こり、これに関与した疑いで【 】は乙訓寺に幽閉された。(2021)[0704]岩倉具視幽棲旧宅の敷地内にあり、【武田五一】が設計した建物を【 】という。(2013)(2019)[0705]東天王社と呼ばれた岡崎神社に対し、西天王社と呼ばれたのは【 】である。(2012)/美福門院が建てた歓喜光院…
[0501]妙顕寺は、法華宗の中で初めて後醍醐天皇の勅願寺となったが、その書院東側にある庭を【 】という。※計4つの庭があり、他には、抱一曲水の庭、孟宗竹の坪庭、四海唱道の庭。(2016)[0502]上賀茂神社「白馬奏覧神事」、御香宮神社「七種神事」、祇園4花街の始業式は【■月■日】に行われる。(2013)[0503]菓子屋の当主が大峰山で霊夢を受けて作ったのが始まりといわれ、7月16日限定で販売される京菓子は【 】である。※2022年に発売中止となったことがある。(2007)[0504]「利休七哲」のうちの一人で、利休死後に千少庵を保護し、徳川家康とともに千家の再興に尽力した武将は【 】であ…
[0401]【蘆山寺】を創建した【 】は、魔を滅する「豆大師」や疫病退散の「角大師」として、また、おみくじの祖としても知られ、18代天台座主となった。(2021)[0402]鞍馬寺は、鑑真の高弟であった【 】が宝亀元(770)年に毘沙門天をまつったことに由来する。(2021)[0403]志明院の境内南側にあるシャクナゲなどの植生は京都市の天然記念物となっているが、志明院が舞台となっている歌舞伎の演目を【 】という。※歌舞伎十八番のうちの一つ。(2005)[0404]我が国で最初の官許の花街となった島原には、揚屋建築の【 】が残る。(2011)[0405]上賀茂神社の門前で売られている名物菓子を…
根津美術館〜泉屋博古館東京と巡って最後に五島美術館へ。五島美術館は東急の五島慶太の美術館。 五島美術館は世田谷なので、あの広大な庭も、表参道の根津美術館のような驚きはない。五島美術館の庭に来るといつも、あの高低差を活かした水の流れを作ればいいのにと思う。 五島美術館のお茶室にも 灯が入り茶事が行われていた。 一般には、11月はハロウィンとクリスマスの端境くらいにしか思われていないかもしれないが、お茶をする人たちにとっては炉開きと口切りの月、「茶人の正月」という。 根津美術館でもこちらでもお茶会が開かれていたのがそのためかどうかは知らないが、どちらの美術館でも茶室が茶事で使用中ってことは珍しく思…
### 🎋 四季折々の美しさを楽しむ、松花堂庭園・美術館 🎋 四季の彩りを纏う庭園** 八幡市の街中に位置しながら、都会の喧騒を忘れさせるような静寂と美しさを持つのが「松花堂庭園・美術館」です。40種類を超える竹をはじめ、梅、桜、アジサイ、紅葉など、四季折々の花々が彩りを添え、訪れる者たちを魅了しています。6仕切り 蓋付 松花堂弁当箱 37.5cmx26cmx高さ6.3cm日本製の 熱 水 洗剤 衝撃にも強い 松花堂弁当価格: 3894 円楽天で詳細を見る 歴史ある庭園の背景** この庭園は、江戸時代初期に多大な影響を持った文化人、松花堂昭乗が活躍した場所としても知られています。彼は石清水八幡…
月のすむ 川のをちなる 里なれば 桂の影は のどけかるらむ これは帝が光源氏へ送った歌。それに対して光源氏はこう返します。 久方の 光に近き 名のみして 朝夕霧も 晴れぬ山里 源氏物語18帖 松風より [ずいよう意訳] 帝の御物忌みが明ける日に、源氏の君が宮中に伺候(しこう)しなかったので、帝が「源氏はどうしたのか?」とお尋ねになります。廷臣が「源氏の君は桂へ行っております」と奏上したので、「月のすむ・・」の歌を勅使に持たせて源氏へ遣わします。「月が住むという桂は川向うだから、きっとのどかだろうなぁ」と。 それに対して、源氏は「桂は月の光に近いと言われておりますが、実は朝夕霧が出て光は見えない…
桂離宮は数寄屋書院の最高傑作と言われています。 タテ・ヨコ直角に交わる幾つもの柱と梁、それが紡(つむ)ぎ出す方形の面の数々。研ぎ澄まされた線と、その緊張をいや増す四角い壁や障子が、心地よいリズムを奏でています。そして、柔らかさを醸し出す杮(こけら)葺きの屋根と庭の緩やかな起伏の曲面に包まれて、池、庭石の配置、樹木などの不規則な構成が、直角と四角の世界に融和して、これ以上ない完璧な立体の抽象絵画を見ている様です。それにしても、なんて具象なのでしょう。なんて自然なのでしょう。これ以上なく簡素で素朴で美しい。 残念ながら、一度は桂離宮を訪れてみたいと思っていながら、未だその機会を得ておりません。いつ…
公の茶、書院の茶と言われる式正織部流。私の茶・草庵の茶と言われる利休の侘茶。その二つにはどんな違いがあるのですか? 簡単に言えば、「公の茶」「書院の茶」と言われる式正の茶は、儀式で執り行われる茶湯(ちゃのゆ)です。将軍御成りなどの公式行事に組み込まれた歓迎式典の一環で、そこで供される茶湯の事を指します。 「公」の字には大勢の人々を対象にしたイメージがあります。公園とか公開講座とか、そこから、大寄せ茶会の様に多くのお客様をお招きして茶会を催すのも「公」の部類に入ると思いがちです。ところが「公」は、政府や国家、朝廷、幕府、役所などを表す言葉ですので、いくら大人数を集めた大寄せ茶会でも、その茶会を「…
八幡市は、京都市の南、桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川と一本化する地域に位置しています。 古くから、水運の拠点として、また、伏見と大阪を結ぶ「京街道」や河内を縦断し高野山へと続く「東高野街道」などの重要な陸路が走る交通の要衝であるとともに、石清水八幡宮の門前町として栄えてきたところです。 この八幡市では、椿は「市の花木」として制定され、親しまれています。 石清水八幡宮の社叢の藪椿群や、常昌院の日光椿の巨木をはじめ、椿の名所、名木が多くあり、今回訪れた「松花堂庭園」も椿園を有し、見どころの一つとなっています。 1 松花堂昭乗と椿 2 庭園の椿 3 椿の和菓子 1 松花堂昭乗と椿 松花堂昭…
先日、平等院にある浄土院の養林庵書院を拝観する機会がありました。 養林庵書院は、1601年に伏見城から移築された建物です。 普段は非公開の寺院であり、一般的な公開の機会は季節の特別公開などで稀にあるものの、数年に一度あるかないか程度。 そんな中、春先にたまたま日本旅行の現地ツアーを探していたところ、養林庵書院の特別公開プランを発見! 迷うことなく申し込みました。 現地へ こちらが養林庵書院のある浄土院です。 平等院には塔頭寺院が二つあり、浄土院はその内の一つでもあります。(もう一つは最勝院) 平等院修復のために栄久という人物によって造られたのが、これらの塔頭寺院です。 普段非公開の場所ゆえ、通…
こんにちは、あとりです❤️ 京都、『曼殊院』に行ってきました。(23年5月25日) 『曼殊院(まんしゅいん)』は叡山電車・修学院駅から徒歩約20分です。 『曼殊院』の石碑がありました。 ここから、もう少し坂道を登って行きます。 【弁天堂】 【曼殊院天満宮】 「弁天堂」「曼殊院天満宮」の周囲は池や、木立が広がっています。 【勅使門】 勅使門の周囲の青もみじや、苔が濃く、美しい❗ 22年11月18日に訪れた時のブログです。 勅使門周囲の美しい紅葉の写真を、たくさん載せています。 ご一緒にご覧ください⤵️ 拝観受付までの参道も、青もみじが美しい❤️❤️ 【拝観出入口】 『曼殊院』は、延暦年間(782…
大徳寺本坊の一部が特別公開されたのでお邪魔してみました(期間は2023年4月27日〜6月4日)。 prtimes.jp 大徳寺の中心伽藍にある建物群は、方丈等を除き、外側からであればいつでも観ることができます。 今回、「特別公開」とされているのは、三門の一階部分(くぐるだけ)、仏殿と法堂の内部、そして唐門(南面)、ということになります。 特別公開の企画・運営は京都春秋(株)が担当しています。 2000円と高めの料金ですが、ガイド付きミニツアー方式で約40分、たっぷり非公開エリアを堪能できますから、妥当な範囲での価格設定かとは思います。 時間を区切り、約20名程度を定員として案内されます。 受付…
二つ目の和菓子屋さん亀屋芳邦で源氏巻きを買い、さあ次は樟葉の駅を目指すぞと走っていると、左手に何やら目を引く空間が。 松花堂庭園でした。 へー、こんなところにあったのかあ。 パンフレットなどでチラッと見たことはあるけれど、来たことはありませんでした。 美術館もありましたが、せっかくだからお庭だけ見ていくことにしました。 松花堂昭乗さんの草庵のあるお庭で、どこを切り取っても絵になる景色でした。
太閤秀吉が古田織部に「武士に相応しい茶の湯を創始せよ」と命じ、織部はそれに応えました。秀吉は、今、世の中で行われている茶の湯は町人の茶である、武士がやる様な茶では無い、と思っていたのでしょう。 侘茶の、余計な装飾を一切省き、冥界を思わせる様な薄暗い侘しさの中に見る究極の美は、諸行無常の提示にも見えます。三途の川の川霧に朧(おぽろ)げに浮かぶ一輪の蓮、そんなイメージの侘びの美ですが、日常をひょいと跨げば死の世界に瞬間移動してしまう武士にとって、そのような「メメントモリ(死を想起せよ)」的なイメージは、「言われずとも分かっとるわい」であり、余計なお世話なのです。むしろ武士は、死に至るまでの「生を謳…