さて、日蓮の話に戻ります。 前回は立正安国論を最明寺入道時頼(北条時頼)に上呈するまでの事を書きました。日蓮の想いとしては、恐らく最明寺入道に立正安国論を提出すれば、例えば意見を述べる場が持たれるとか、念仏僧との公場対決など何かしら幕府からの動きがあると考えていたと思います。 しかし幕府からは何も動きはありませんでした。立正安国論を上呈したのは、7月18日ですが、8月になっても幕府から一切動きはありません。この事について日蓮は「下山御消息」という御書の中で以下の様に述べています。 「先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御…