二 貞治六年の師走、春王の父義詮が薨じた。 その二月前に病臥したため、当時讃岐にいた細川右馬頭頼之を呼び寄せ上洛させた。 道誉や赤松、鎌倉公方で義詮の弟である基氏の推挙によって管領へと就任するためである。高経と義将はというと、その一年ほど前に高経の失策と道誉中心の反対派閥による讒訴によって失脚し、越前へと逼塞したのだった。その後義詮は管領を置かずの執政であったが、まだ幼い春王の補佐として頼之を選んだ。 春王は義詮の今際の時に枕元に呼ばれ三献祝着を行ったのちに剣を与えられ、継承の儀を終えたが、二豎に蝕まれた父の顔はこんなものだったろうかと思ったことを覚えていた。病のせいで顔がやつれていたせいとい…