飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。伝記的資料は万葉集以外は残っていない。 7世紀中頃生まれる。芸能、門付の家に生まれたという説もある*1。
持統天皇に重用され、宮廷の公事の歌を多数詠む。枕詞を多用したダイナミックな長歌、簡潔な短歌が特徴。持統朝以後の消息は不明。
8世紀初めに石見で死去したとされている*2。
同人を祀る神社も各地にある(兵庫県明石市の柿本神社など)。
あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長々し夜を独りかも寝む (百人一首 3/拾遺和歌集 巻十三 恋歌三 778)
*1:柿本朝臣は和邇氏の同族とされる
*2:「石見にありて死に臨む時」の歌は残るが、石見国赴任は晩年のことではなく、伝説によって詞書が書かれたものとも考えられている
訓読 >>> 143磐代(いはしろ)の岸の松が枝(え)結びけむ人は帰りてまた見けむかも 144磐代の野中(のなか)に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ 145天(あま)翔(がけ)りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ 146後(のち)見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも 要旨 >>> 〈143〉磐代の岸の松の枝を結んだという人は、無事に帰ってきて、再びその枝を見たのだろうか。 〈144〉磐代の野中に立っている結び松よ、お前のように私の心にも結び目ができて解けず、昔のことがしきりと思われる。 〈145〉有間皇子の魂は空を飛び、いつもこの松に通って見続けているだろう。それは…
訓読 >>> 131石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高(た…
【源氏物語 189 第十帖 賢木 1 】 斎宮《さいぐう》の伊勢へ下向《げこう》される日が 近づけば近づくほど御息所は心細くなるのであった。 左大臣家の源氏の夫人がなくなったあとでは、 世間も今度は源氏と御息所が公然と夫婦になるものと噂していたことであるし、 六条の邸の人々もそうした喜びを予期して興奮していたものであるが、 現われてきたことは全然反対で、 以前にまさって源氏は冷淡な態度を取り出したのである。 これだけの反感を源氏に持たれるようなことが夫人の病中にあったことも、 もはや疑う余地もないことであると御息所の心のうちでは思っていた。 苦痛を忍んで御息所は伊勢行きを断行することにした。 …
訓読 >>> こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ 要旨 >>> 泊瀬の山のあたりに漂っている雲は、亡くなった乙女なのだろうか。 鑑賞 >>> 亡くなった土形娘子(ひじかたのおとめ)を泊瀬山に火葬した時に柿本人麻呂が作った歌。土形娘子は文武朝の宮女ではないかとされます。「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬」は、古代大和朝廷の聖地であると同時に、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。また、火葬の始まりは『続日本紀』では文武4年(700年)、僧道照の死に始まるとされますが、実際はもっと古くから行われて…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、鳥取編も全て終わりました。 全てというのは、この山陰の万葉ゆかりの地巡りをするきっかけとなった、年始に見た紙面に記されていた箇所全てです。 鳥取県側は、下掲の5箇所が記されてあっりました。 (1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」、(5)「因幡万葉歴史館」です。場所は、下掲の赤い囲みの所です。 1月16日から19日にかけて、巡った地と、これまで写真に残っていた箇所です。 今回で、「山陰の万葉ゆかりの地」の全てをアップしたことになります。 今後、柿本人麻呂や、万葉集に関わる地を巡ることがあれば、アップして…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、鳥取編最後の(5)「因幡万葉歴史館」です。最後というのは‥。 この山陰の万葉ゆかりの地巡りをするきっかけとなった、年始に見た紙面へ、鳥取県側は、下掲の5箇所が記されてありました。その(5)番目ということです。 (1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」、(5)「因幡万葉歴史館」です。その鳥取全体の5箇所と、「因幡万葉歴史館」の所在地は、下掲紙面の囲み箇所です。 (5)「因幡万葉歴史館」 これで、鳥取編が終了しました。鳥取編が終了しただけでなく、これまでアップしてきた「柿本人麻呂没後1300年 山陰の万葉ゆ…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、鳥取編の(4)因幡国庁跡になりました。 この山陰の万葉ゆかりの地巡りをするきっかけとなった、年始に見た紙面には、鳥取県側は、下掲の5箇所が記されてありました。 (1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」、(5)「因幡万葉歴史館」です。その「因幡国庁跡」は、下掲の赤い囲みの場所です。 前回も記しましたが、「柿本人麻呂没後1300年」と、紙面に記載してある「山陰の万葉ゆかりの地」が、直接はつながっていないません。柿本人麻呂と関わりがあるとされるのは、島根県の石見地方です。島根県の出雲地方や、鳥取県は、柿本人麻…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、鳥取編に入っています。 前回も記しましたが、「柿本人麻呂没後1300年」と、紙面に記載してある「山陰の万葉ゆかりの地」が、直接はつながっていないということです。柿本人麻呂と関わりがあるとされるのは、島根県の石見地方です。島根県の出雲地方や、鳥取県は、柿本人麻呂とではなく、「万葉ゆかりの地」として、つながっているのだと思います。そうなると、ゆかりの地は、この紙面に掲載されている場所だけに留まらないことになります。 紙面に載っている鳥取県側の万葉ゆかりの地は5箇所で、今回は(3)の三徳山です。 記されている、鳥取県の万葉ゆかりの地は、(1)「…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、島根県の出雲地方編を終えて鳥取編に入っています。 ここまできて思うことは、「柿本人麻呂没後1300年」と、紙面に記載してある「山陰の万葉ゆかりの地」が、直接つながってはいないということです。つながっているとすれば、島根県の石見地方です。島根県の出雲地方や、鳥取県は「万葉ゆかりの地」として、つながっているのだと思います。 紙面に載っている鳥取県側の万葉ゆかりの地は5箇所です。その紙面も掲載します。 鳥取県の万葉ゆかりの地は、(1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」(5)「因幡万葉歴史館」です。 今回は(2…
柿本人麻呂 没後1300年 山陰の万葉ゆかりの地巡りは、島根県の出雲地方編を終えて鳥取編に入っています。 紙面に載っている鳥取県側の万葉ゆかりの地は5箇所です。その紙面も掲載します。 鳥取県の万葉ゆかりの地は、(1)「大山」、(2)「伯耆国庁跡」、(3)「三徳山」、(4)「因幡国庁跡」、(5)「因幡万葉歴史館」です。 前回は(1)の大山でした。 今回は、(2)「伯耆国庁跡」です。鳥取県倉吉市にあります。 伯耆国庁跡について、この紙面では、赤い囲み部分へ記されてありました。 伯耆国庁跡(国指定史跡) 倉吉市西方郊外の丘陵に、良好な状態で残る役所跡。周辺には、前身の国庁とも推定される不入岡(ふにお…
訓読 >>> 111いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く 112古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと) 113み吉野の玉(たま)松が枝(え)は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく 要旨 >>> 〈111〉過ぎ去った昔を恋い慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の御井の上を鳴きながら大和の方へ渡っていきます。 〈112〉あなたが「昔を恋い慕う」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう、おそらくそのホトトギスが鳴いたのでしょう、私が昔を恋い慕うように。 〈113〉吉野の松の枝の愛しいこと、あなたのお言葉も…
【話材】 昨日06/05のつぶやき 宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園1 堂宇編 経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。 もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。 本日も、複数のブログで、つぶやき済です。 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/4f0d9a3405139deae8079c1625ca3214 ■【今日は何の日】 6月6日 ■ 建武の新政 ■ 補聴器の日 ■ 兄の日 一年365日、毎日が何かの日 ■【きょうの人】 0606 ■…
【きょうの人】 0605 ■ 重源 没 父は、柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。 ■ 重源 没 父は、柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族 ちょうげん 保安2年(1121年)- 建永元年6月5日(1206年7月12日) 俊乗房重源は、1121年(保安二年)に京都に生まれました。父は、柿本人麻呂とも血縁のある紀氏一族の紀季重です。 13歳で醍醐寺に入って密教を学び、1167年(仁安2年)入宋(にっそう:中国宋を訪問)し、翌年帰国しました。 1180年(治承4年)平重衡によって大仏…
【話材】 昨日06/04のつぶやき 宇治市 三室戸寺と「与楽園」枯山水・池泉廻遊式庭園 堂宇編 経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。 もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。 本日も、複数のブログで、つぶやき済です。 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/4a5931d90f9ce8787c5b9e67a0819535 ■【今日は何の日】 6月5日 ■ 世界環境デー ■ ろうごの日 一年365日、毎日が何かの日 ■【きょうの人】 0605 ■ 重源 没 …
限界男子高校生とはなんぞや ーーー限界男子高校生とは、中学入試、もしくは高校入試という害悪制度の中で男子校という地獄に入学してしまったがために六年間ないし三年間の青春を女子との接点なく過ごしている哀れな男性高校生のことである。彼らは女子と関わる機会がないゆえに大学でも女子の目を直視することができず、運命の赤い糸も見つけられず、母親以外の女性からは決して愛されることがない。 ああ恐ろしや なぜこのような地獄に入獄してしまったのか。 学校の中にいる女性といえばちょうど更年期に差し掛かったような教師数名と、THE americanというような太った風貌のマクドナルド大好きなアメリカ出身のネイティブだ…
訓読 >>> 大和には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山(なかやま)呼びそ越(こ)ゆなる 要旨 >>> 大和には今ごろ呼子鳥が鳴いて来ているのだろうか。象の中山を人を呼びながら鳴き渡っている声が聞こえる。 鑑賞 >>> 高市黒人(たけちのくろひと)が、持統太上天皇の吉野行幸に従駕したときの作。この歌は、作者の正式な宴遊歌として現存する唯一の歌で、「大和」は、藤原京を指しています。「呼子鳥」は、カッコウまたはホトトギス。この名は時代と共に変化しており、「喚子鳥」と書いた字面から「閑古鳥」といわれ、やがて郭公(カッコウ)になったとされ、カッコウを呼子鳥といった例が最も多いよう…
■島根県益田市 高津柿本神社万葉歌碑(巻二 二二三)■ 島根県益田市 高津柿本神社万葉歌碑(柿本人麻呂) 20211012撮影 ●歌をみていこう。 題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。 ◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有 (柿本人麻呂 巻二 二二三) ≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ (訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待…
おすすめの暗号ものミステリーを紹介。 暗号で定番もの 黄金虫 踊る人形 暗号で歴史もの 猿丸幻視行 柿本人麻呂いろは歌の謎 QED 百人一首の呪 その他 ギリシャの犬 暗号ミステリ傑作選 暗号で定番もの 黄金虫 ミステリーのすべてのテンプレートは網羅されている....といわれるほど鬼才エドガーアランポー。 ポーの作品には、暗号解読そのものずばりをテーマにした短編「黄金虫」があります。 海賊キャプテン・キッドの隠された財宝を示す地図。果たして黄金のありかは? 53‡‡†305))6*;4826)4‡.)4‡);806*;48†8¶60))85;1‡(;:‡*8†83(88)5*†;46(;88*…
■島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻三 三七一)■ 島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(門部王) 20211012撮影 ●歌をみていこう。 題詞は、「出雲守門部王思京歌一首 後賜大原真人氏也」<出雲守(いづものかみ)門部王(かどへのおほきみ)、京を思(しの)ふ歌一首 後に大原真人の氏を賜はる>である。 ◆飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國 (門部王 巻三 三七一) ≪書き下し≫意宇(おう)の海の川原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けば我(わ)が佐保川の思ほゆらくに) (訳)意宇(おう)の海まで続く川原の千鳥よ、お前が鳴くと、わが故郷の佐保川がしきりに思いだされる…
今回、初めて『菅原伝授手習鑑』の初段から二段目までを観た。 これまでに観たことのある三段目、四段目とあわせて考えるに、この物語は、全通しで成立するバランスで作られているのだなと感じた。なぜ桜丸は切腹しなければいけなかったのか、どうして源蔵は異様な行動に出たのか、松王丸がなにも言わずに計画を実行したのはなんのためだったのか。三段目、四段目で起こることの因縁の根源は前半にある。しかも、それらが絡み合い、どんどん連鎖していった結果が「あれ」なのだということが、よくわかった。「因縁」の物語としては、同作者によって書かれた『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』よりも段のあいだにリニアな連続性があり、奥行きのあ…
二二三から二二七歌は「鴨山五首」と呼ばれる歌群である。 「鴨山五首」については、「鴨山」・「石川」が具体的な地名か否か、両者のつながりは、具体的な地名とすれば何処なのか、人麻呂の身分は、時の政権との関わりはとか等々、の諸説がある。 万葉集の歌群では、巻二の磐姫皇后の八五から八八歌のように、磐姫皇后の歌ではないが、磐姫皇后の人となりの伝承を踏まえて民謡的な歌を連作歌群とし、磐姫皇后の歌として収録され、いわば「歌物語」を形成している側面がある。 坂本 勝氏が、「鴨山と石川の詩心:柿本人麻呂臨死自傷歌群について」(日本文学誌要巻77 法政大学国文学会)に、「・・・歌群は右の五首。中に『一云』『或本歌…
■島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三五)■ 島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌をみていこう。 題詞は、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の二首目である。 ◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云…
島根県立万葉公園人麻呂展望広場は、万葉集に収められている人麻呂の歌や島根県にゆかりのある歌三十五首の歌碑が建てられている。「大和・旅の広場」と「石見の広場」がある。広場にいるだけで万葉の時代へタイムスリップしたように引き込まれる。 展望広場からは石見の雄大な海を初め益田市内が一望でき、人気のスポットとなっている。 ■島根県益田市県立万葉公園<大和・旅の広場>万葉歌碑(巻二 一九四)■ 島根県益田市県立万葉公園<大和・旅の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂) 20211012撮影 ●歌をみていこう。 題詞は、「柿本朝臣人麻呂獻泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女(はつせべのひ…