飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。伝記的資料は万葉集以外は残っていない。 7世紀中頃生まれる。芸能、門付の家に生まれたという説もある*1。
持統天皇に重用され、宮廷の公事の歌を多数詠む。枕詞を多用したダイナミックな長歌、簡潔な短歌が特徴。持統朝以後の消息は不明。
8世紀初めに石見で死去したとされている*2。
同人を祀る神社も各地にある(兵庫県明石市の柿本神社など)。
あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長々し夜を独りかも寝む (百人一首 3/拾遺和歌集 巻十三 恋歌三 778)
*1:柿本朝臣は和邇氏の同族とされる
*2:「石見にありて死に臨む時」の歌は残るが、石見国赴任は晩年のことではなく、伝説によって詞書が書かれたものとも考えられている
答志島は定期船の港が3つあります。西の桃取港は周遊券では行けません。東の和具港と答志港は徒歩15分の距離です。答志港まで行って、神島行きに乗り継ぐ和具港へ戻ります。 ずーっと二階の展望デッキに居ましたが、船室の様子です。 下船しました 答志島桟橋と待合室 待合所の海側にタコ壺がいっぱい 答志港を後に南へ 八幡神社がある島へ 橋を渡ります 柿本人麻呂の歌碑:解説はこのリンクで 大伴家持も詠んでる 社殿は工事中? 橋を戻る 古墳もあるらしいが時間が無いので行かない 和具港 九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆の首塚へ行ってみる 首塚:周囲の見晴らしは良くない 和具港へ戻った 渡船の和具桟橋と待合室 左奥は菅島
―その1578― ●歌は、「橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P67)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P67)にある。 ●歌をみてみよう。 ◆橡 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念 (作者未詳 巻七 一三一一) ≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ (訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフ…
―その1563― ●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P52)にある。 ●歌をみていこう。 ◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右 (作者未詳 巻十一 二七五〇) ≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに (訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より) …
訓読 >>> 36やすみしし わご大君(おほきみ)の 聞(きこ)しめす 天(あめ)の下に 国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺(のへ)に 宮柱(みやはしら) 太敷(ふとし)きませば ももしきの 大宮人は 船 並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕河(ゆふかは)渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高(たか)知らす 水たぎつ 滝の都は 見れど飽かぬかも 37見れど飽かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還(かへ)り見む 要旨 >>> 〈36〉わが大君が御統治なさるこの天下に、国は実に多くある…
訓読 >>> 501娘子(をとめ)らが袖(そで)布留(ふる)山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(われ)は 502夏野(なつの)行く牡鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間も妹(いも)が心を忘れて思へや 503玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹(いも)に物言はず来(き)にて思ひかねつも 要旨 >>> 〈501〉少女たちが袖を振る、布留の石上神宮の垣、その古い垣のように昔から変わらず、ずっとあなたを思っていた。 〈502〉夏の野をゆく若い牡鹿の生え変わる角のように、ほんのわずかな間も、妻の心を忘れることがあろうか。 〈503〉美しい衣のさいさいしずみ、家の妻にろくに物も言わずに出てきて…
訓読 >>> 496み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど直(ただ)に逢はぬかも 497古(いにしへ)にありけむ人もわがごとか妹(いも)に恋ひつつ寝(い)ねかてずけむ 498今のみのわざにはあらず古(いにしえ)の人そまさりて音(ね)にさへ泣きし 499百重(ももへ)にも来(き)しかぬかもと思へかも君が使ひの見れど飽かざらむ 要旨 >>> 〈496〉熊野の海辺に群がって生えている浜木綿のように、幾重にも心で恋しても、じかに逢うことのできない恋よ。 〈497〉昔の人たちも私と同じように、妻を恋い続けて寝つけなかったのだろうか。 〈498〉今に限ったことではなく、昔の人だって、私…
―その1455― ●歌は、「釧着く答志の﨑に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」である。 愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径 (3)万葉歌碑(柿本人麻呂) ●歌碑は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径 (3)にある。 ●歌をみていこう。 ◆釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武 (柿本人麻呂 巻一 四一) ≪書き下し≫釧(くしろ)着(つ)く答志(たふし)の崎に今日(けふ)もかも大宮人(おおみやびと)の玉藻(たまも)刈るらむ (訳)あの麗(うるわ)しい答志(とうし)の崎で、今日あたりも、大宮人が美しい藻を刈って楽しんでいることであろうか。(同上) (注)くしろ【釧】名詞:古代の腕輪。石・玉・貝・…
―その1435― ●歌は、「妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや」である。 愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P3)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂) ●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P3)にある。 ●歌をみていこう。 題詞、「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首并短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)と反歌二首(二二一、二二二歌)のうちの一首である。 (注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙美弥島。今は陸続きになっている。…
―その1433― ●歌は、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」である。 愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P1)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂) ●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P1)にある。 ●歌をみていこう。 題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌四首」<柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が歌四首>である。 ◆三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨 (柿本人麻呂 巻四 四九六) ≪書き下し≫み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも (訳)み熊野(くまの)の浦べの浜木綿(はまゆう)の葉が幾重にも重な…
訓読 >>> 303名ぐはしき稲見(いなみ)の海の沖つ波 千重(ちへ)に隠りぬ大和島根(やまとしまね)は 304大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ 要旨 >>> 〈303〉名高い稲見の海の、沖の波のいくつもの重なりの中へ隠れてしまった、大和の懐かしい山々が。 〈304〉大君の遠い朝廷として往来する島門を見ると、この島々によって生み成された遠い神代のことが偲ばれる。 鑑賞 >>> 柿本人麻呂が筑紫に下る時に、海道にして作る歌2首とあり、明石海峡を過ぎたあたりで詠まれた歌です。 303の「名ぐはしき」は名高い。「稲見(印南)の…
訓読 >>> 引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣(ころも)にほはせ旅のしるしに 要旨 >>> 引馬野に色づいている榛の原、さあ、この中にみんな入り乱れて衣を艶やかに染めようではないか、旅の記念(しるし)に。 鑑賞 >>> 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、持統太上天皇の三河国行幸に従駕した時の歌。持統天皇は31回も吉野行幸を重ね、最晩年の大宝2年(702年)に大がかりな東国巡幸を行い、三河まで車駕を進めました。吉野も東国も、壬申の乱に勝利するまでに亡夫・天武と歩んだ苦難への思い出の地でありました。 「引馬野」は、愛知県豊川市または静岡県浜松市付近の地名。「にほふ」は色…
―その1572― ●歌は、「玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我は恋ひ思ふを」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P61)万葉歌碑<プレート>(巨勢郎女) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P61)にある。 ●歌をみてみよう。 題詞は、「巨勢郎女報贈歌一首 即近江朝大納言巨勢人卿之女也」<巨勢郎女、報(こた)へ贈る歌一首 すなはち近江の朝の大納言巨勢人(こせのひと)卿が女(むすめ)なり>である。 ◆玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎 (巨勢郎女 巻一 一〇二) ≪書き下し≫玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我(あ)は恋ひ思(も)ふを …
御朱印めぐり第11弾は埼玉県の川越氷川神社をご紹介します。 最近はフォトジェニックな写真が撮れるということで若者に人気な神社です。公式サイトに撮影時の注意点が書かれているくらい。いかに写真を撮る方が多いかがうかがえます(^_^;)特に夏の縁結び風鈴はとても人気です。江戸風鈴の響きに癒やされる神社です。 ▽この記事の目次▽ 御朱印のご紹介 どんな神社? 川越氷川神社の見どころ 「かざぐるま」がたくさん回る 「江戸風鈴」の響き・・・ その他の見どころ 公共交通機関での行き方 おすすめ季節 おすすめ周辺観光 さいごに 御朱印のご紹介 埼玉県川越市にある川越氷川神社(かわごえひかわじんじゃ)の御朱印で…
―その1561― ●歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P49)にある。 ●歌をみていこう。 ◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆 (柿本人麻呂 巻二 一三三) ≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば (訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より…
―その1557― ●歌は、「み薦刈る信濃の真弓我が引けば貴人さびていなと言はむか」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P46)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P46)にある。 ●歌をみていこう。 ◆水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞 (禅師) (久米禅師 巻二 九六) ≪書き下し≫み薦(こも)刈(か)る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)我(わ)が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも (訳)み薦刈る信濃、その信濃産の真弓の弦(つる)を引くように、私があなたの手を取って引き寄せたら、貴人ぶってイヤとおっしゃ…
2022-06-22 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 24 日>(仏滅 丙午 一白水星) Paulina Paula 第 25 週 第 26803 日 百人一首と平家物語とはほぼ同じ時代に成立したのだと思ふ。それで、百人一首に載せられた歌人は上代から平家物語の時代までの人たちである。登場人物中、一番新しい歌人は第百首の順徳院ではないかと思ふ。それでは百人一首は時代的に古い人から並んでゐるのかと言へばさうでもない。生没年不明の歌人もあるから確かなことは知らないが、柿本人麻呂などは一番古い歌人だと思ふ。その人麻呂の歌の前に天智天皇と持統天皇のお歌が配されてゐる。天武天皇や聖武天皇、桓武天皇の…
// 現代日本人は、時間に縛られて生きている。 束の間の安眠を妨げる目覚ましのアラーム。 一堂に人が動く通勤ラッシュ。 会議、締め切り、昼休憩。 チャップリンの「モダンタイムス」のように、人が時間を支配しているのか、時間が人を支配しているのか、うやむやな世の中だ。 だからといって、僕らはもう時計を捨てることはできない。 人生とは時間であると言っても過言ではない。 てゆーか、そもそもなんで今は21時なのか。 誰がどのように21時だと決めたのか。 兵庫県明石市。 日本の時間のシンボルが、そこにある。 日本の時間の中心 僕は時計台を見上げる 科学館付近の子午線標示 人丸前駅 柿本神社 明石子午線郵便…
―その1554― ●歌は、「上つ毛野安蘓山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P43)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P43)にある。 ●歌をみてみよう。 ◆可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武 (作者未詳 巻十四 三四三四) ≪書き下し≫上つ毛(かみつけ)野安蘇山(あそやま)つづら野(の)を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ (訳)上野の安蘇(あそ)のお山のつづら、このつづらは野が広いので一面に延び連なっているではないか。この延び連なったものが、…
夜の日課は、11時前に歯磨きをして、携帯ラジオを持って床に就く。ベッドで11:05からのNHKラジオ深夜便を聞きながら目を閉じる。ラジオをつけたまま眠りに落ち、そのまま眠ってしまうことがほとんどだが、ラジオの話が面白くて1時頃まで聞き続けることもある。 毎晩の深夜便で良いなと思うのは、① 0時前に全国各地の天気予報と翌日の日の出の時刻を告げること、② 0時のニュースで「日付が変わって、〇月〇日〇曜日のニュースをお伝えします」と告げること、 ③1時前に世界の各都市の天気と最高最低気温の予報を告げることだ。 ①は、日の出時刻が1か月で30分程変化し、月日の経過が実感できる。夏至の前の今時の札幌の日…
一 (淡竹中節丸形虫喰) 偶然拾った竹の節近くに穴が空いていたので、強度に欠けると思い捨てようとしたら、茶の師匠が「それは虫喰いと言って、茶の湯では尊ばれる物です」と仰った。それを機に私は茶杓作りを始めた。虫喰いの侘びた道具なので、名残の茶会で用いれば良いだろう。 二 (黒竹二節丸形) 竹を入手しようと竹材店を探したが近隣にはなく、ホームセンターに黒竹があったので購入した。節の間が詰まっていたので二節の茶杓として制作した。黒竹は淡竹の一種で、あまり大きくならない。初めは緑色だが夏を過ぎると黒くなり、二年で真っ黒になる。竹の茶杓は原則無季とされ、年中用いられる。ただし、季節を思わせる銘を付けた場…
―その1530― 歌は、「霰降り遠江の吾跡川楊 刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P19)万葉歌碑<プレート>(作者未詳) 歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P19)にある。 歌をみていこう。 ◆丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊 (柿本人麻呂歌集 巻七 一二九三) ≪書き下し≫霰(あられ)降(ふ)り遠江(とほつあふみ)の吾跡川楊(あとかわやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊 (訳)遠江の吾跡川の楊(やなぎ)よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の楊よ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文…
―その1527― ●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。 静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P16)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集) ●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園(P16)にある。 ●歌をみていこう。 ◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者 或云 枝毛多和ゝゝ (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五) ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 或いは「枝もたわたわ」といふ (訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわ…
訓読 >>> 夏蔭(なつかげ)の妻屋(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁(た)つ我妹(わぎも) うら設(ま)けて我(あ)がため裁(た)たばやや大(おほ)に裁て 要旨 >>> 夏の日をさえぎる木陰の妻屋の下で衣を裁っているわが妻よ。私のために心づもりして裁っているのなら、もう少し大きめに裁ってくれ。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』に載っている旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌です。夫のために衣を仕立てている妻へ呼びかけたもので、若い夫婦間のやさしい情愛が漂っています。ただ、違った解釈もあり、新婚らしい女の裁縫仕事を見た第三者の男が、夫を気取って、「私のためならもう少し大きめに裁ってくれ」…