飛鳥時代の歌人。三十六歌仙の一人。伝記的資料は万葉集以外は残っていない。 7世紀中頃生まれる。芸能、門付の家に生まれたという説もある*1。
持統天皇に重用され、宮廷の公事の歌を多数詠む。枕詞を多用したダイナミックな長歌、簡潔な短歌が特徴。持統朝以後の消息は不明。
8世紀初めに石見で死去したとされている*2。
同人を祀る神社も各地にある(兵庫県明石市の柿本神社など)。
あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長々し夜を独りかも寝む (百人一首 3/拾遺和歌集 巻十三 恋歌三 778)
*1:柿本朝臣は和邇氏の同族とされる
*2:「石見にありて死に臨む時」の歌は残るが、石見国赴任は晩年のことではなく、伝説によって詞書が書かれたものとも考えられている
昭和60年頃、夕方になって国文学者のF先生と帰宅中に、フワァ~とよい匂いが鼻をくすぐる。 私「先生・・・いい匂いがしますね・・・沈丁花・・・」 F「『春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後にも逢わむ な恋そ我妹』」 私「え?」 F「柿本人麻呂の歌ですよ。恋歌なんですよ。知らない?」 私「えぇ・・・」 F「『春になったら、一番はじめに咲く香り高き沈丁花のように、 無事でいたならばまた会うこともあるでしょう。恋に苦しまないで愛しき人よ』 ていうくらいの意味なんでしょうね。 三枝っていうのは今でいう沈丁花のことだっていわれてて、この歌、 三枝と幸がかかり言葉になってるんですよね」 …
訓読 >>> 194飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の川の 上(かみ)つ瀬に 生(お)ふる玉藻(たまも)は 下(しも)つ瀬に 流れ触(ふ)らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡(なび)かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔肌(にきはだ)すらを 剣大刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寐(ね)ねば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒(あ)るらむ〈一に云ふ、荒れなむ〉 そこ故(ゆゑ)に 慰(なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて〈一に云ふ、君も逢ふやと〉 玉垂(たまだれ)の 越智(をち)の大野の 朝露(あさつゆ)に 玉裳はひづち 夕霧(ゆふぎり)に 衣(ころも)は濡(ぬ)れて 草枕 旅寝(たびね…
昨日は曇ってはいましたが 最高気温は20℃を超えて めっちゃ暖かかったので~ 2日連続してADV柴犬号で出動しました。 何をしに行ったのかというと~ 飯浦局の風景印を入手するためです。 本当は2月9日に行くはずだったんですが 小浜局(=後述)を出たら何故だか急に興ざめして 後回しにしちゃったからです。 気分が乗らない時ってイイ事ないからね。 で、これが飯浦局の風景印。 図案は飯浦漁港と松島の磁石石だそうで。 港にはカモメが飛んでいます。 そんで、こっちが9日に入手した 小浜局の風景印です。 図案は柿本人麻呂の生誕地碑と三里家浜。 2局とも、とても丁寧に押印して下さったので 「松島の磁石石」「柿…
訓読 >>> 40嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳(たまも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか 41釧(くしろ)着く手節(たふし)の崎に今日(けふ)もかも大宮人(おほみやひと)の玉藻(たまも)刈るらむ 42潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまべ)こぐ船に妹(いも)乗るらむか荒(あら)き島廻(しまみ)を 要旨 >>> 〈40〉あみの浦で船乗りをしているだろう若い女官たちの美しい裳の裾に、今ごろ潮が満ち寄せているだろうか。 〈41〉美しい釧(くしろ・腕輪)をつけて、手節の岬に今日もまた、大宮人たちは藻を刈っているのだろう。 〈42〉潮が満ちてきて鳴りさわぐころ、伊良虞の島あ…
訓読 >>> 220玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 足り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 那珂(なか)の湊(みなと)ゆ 船 浮(う)けて 我が漕(こ)ぎ来れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)とり 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶(かじ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 蘆(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺(はまへ)を 敷栲(しきたへ)…
奢らぬともよそを恋ふるよしも物おこし淡き光となりぬる 柿本人麻呂 (古今和歌集 巻第一 13) 鎌倉時代・13世紀 絹本着色 123.6x83.0 1幅 東京国立博物館 いろは歌の都市伝説 「いろはにほへと…」で知られる「いろは歌」には、ある暗号が隠されているという。 それは、いろは歌を7文字で区切って改行して並べ、その右端を順に読むと「とかなくてしす」となる。これは「咎無くて死す」と解釈され、無実の罪に処された いろは歌の作者が遺恨を込めた暗号であると云われている。なお、これは古くは江戸時代に発見され、大正時代には議論されていたという。 この作者には諸説あるが、その一人に柿本人麻呂という説が…
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなりけり 柿本人麻呂 (萬葉集 巻第三 482) 万葉集の巻一と巻二は、万葉集の中で最初に編纂されたものと考えられている。多くの和歌が雑歌と相聞歌と挽歌に分けられて、その中で年代順に並べられている。採用された作品の中で最も光り輝いているのが、やはり歌聖と称されている柿本人麻呂のもろもろの歌である。 柿本人麻呂 人物叢書 作者:多田一臣 吉川弘文館 Amazon 柿本人麻呂 (古代) [ 多田 一臣 ]価格: 2310 円楽天で詳細を見る NUROモバイル NUROモバイル ソニーネットワークコミュニケーションズ あなたのホームページ・メルマガで【…
誰そ彼とわれをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つわれそ 詠人不知 柿本人麻呂 秋相聞 五首 (萬葉集 巻第十 相聞歌 2240) 「君の名は。」★黄昏・誰そ彼・彼は誰時・片割れ時★いわき市小名浜の黄昏 : ゆる山☆湯ったり☆ぶらり旅[ゆゆぶ] 印象に残ったシーンが、物語終盤の「片割れ時」(黄昏時)のシーンです。ここ自体が重要なシーンなので詳しいことは書けませんが・・・・。新海誠監督の手掛けるアニメーション映像は、アニメ作品でもCMでも夕陽など光のある情景が現実の風景より美しい、と何かの番組で言われていました。新海監督の作品の黄昏時は本当に綺麗です。 「君の名は。」の作中に出てくるキーワード、「片…
京都五山そして鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院南禅寺。日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ寺院です。広大な境内には国宝の方丈を始め、重要文化財の三門、インスタ映え間違い無しの水路閣など見どころ満載で、一年中観光客が絶えません。そんな南禅寺にあって、ほとんど人が訪れないスポットがありました。前回までのブログでは、気功師のガイドさんの案内で、最寄り駅の蹴上駅から南禅寺へ至り、南禅寺の奥にある秘密のスポット最勝院の奥の院を訪ね、氣の変化を感じながら気功体験をした様子などをご紹介しました。このブログでは、南禅寺の近くにある町屋カフェで中国茶をいただきながら、アイヌの民族楽器トンコリの演奏や気功…
2021年4月に島根県石見(いわみ)地方の柿本人麻呂ゆかりの地を巡りました。 ここは、島根県邑智郡美郷町(みさとちょう)にある、斎藤茂吉 鴨山記念館です。 斉藤茂吉さんが、万葉歌人・柿本人麻呂の終焉地が、ここの美郷町「鴨山」であると断言されたようです。 色んな「説」があるようです。浜田市も国府があったことから、そこも「ゆかりの地」とされています。写真に撮るような所が少なく、今回は載せませんでした。 その、浜田市も含め、今回巡った所を全てチェックした地図を、一番最後に載せておきたいと思います。
●歌は、「山の際に雪は降りつつしかずがにこの川楊は萌えにけるかも」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 ◆山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞 (作者未詳 巻十 一八四八) ≪書き下し≫山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川楊(かはやぎ)は萌えにけるかも (訳)山あいに雪は降り続いている。それなのに、この川の楊(やなぎ)は、もう青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より) (注)しかすがに【然すがに】副詞:そ…
AMANEKU体験入所 職員の富田さんと鈴木さんに花見に連れて来て頂きました。いい天気ですばらしかったです。 陽だまりにそっと開いた 桜の花びら 一枚一枚が 春の日差しを受けて輝き 風に揺れて舞い散る その姿はまるで 夢の中のよう 淡いピンク色の花びらは 希望の象徴のように 新しい門出を 祝福しているかのよう 桜の花の下で 人々は笑顔を交わし 未来への希望を語り合う 春は儚く過ぎ去るけれど 桜の花の思い出は いつまでも心に残る 桜 散りゆく花びら 春の風に乗せて 儚くも美しい 桜の命 一度散った花びらは 二度と元の木には戻らない だからこそ私たちは 桜の花を愛でる 桜の花は 私たちに教えてくれ…
訓読 >>> 春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に月の舟(ふね)出(い)づ遊士(みやびを)の飲む酒杯(さかづき)に影に見えつつ 要旨 >>> 春日の三笠の山に、船のような月が出た。風流な人たちが飲む酒杯の中に映り見えながら。 鑑賞 >>> 巻第7の「旋頭歌」の部の最後におかれたこの一首は、『柿本人麻呂歌集』からの歌や作者未詳歌が多い中にあって異彩を放つ歌となっています。庶民生活の味わいが濃く出ていた人麻呂歌集の歌とは違い、繊細美を愛する貴族趣味が横溢しています。詠まれた時代も奈良時代であり、歌の趣きからも明らかです。大伴家持の周辺の人々を思わせるもので、あるいは家持の作かもしれないといわれて…
《水曜日》 午前はTN学童で4時間のアルバイト。準備していると朝帰りの次男から『迎えに来て』と電話。次には『乗り越したから戻る』との電話。『またか🤣』ギリギリ何とか迎えに行きアルバイトに滑り込み!9時からの勤務で8時50分頃ついたら『打ち合わせしたいから早くして』と常勤の先生に呼ばれました。こんなことは初めてでした。たいがいは、着いて洗濯物を片付けようとしたら『9時からなのでいいですよ』と言われるのに…細かい話だけど、時給で雇われてる私たちは勤務時間外に打ち合わせすると時間外労働になるのかなぁ(^_^*) 朝の勉強時間は時計が止まったよう…数日前まで保育園で好きな遊びに熱中してた新一年生にとっ…
●歌は、「水沫なす微き命も拷縛の千尋にもがと願ひ暮しつ」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(山上憶良) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 ◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都 (山上憶良 巻五 九〇二) ≪書き下し≫水沫(みなわ)なす微(もろ)き命も栲縄(たくなは)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ (訳)水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、楮(こうぞ)の綱のように千尋(ちひろ)の長さほどもあってほしいと願いながら、今日もまた一日を送り過ごしてしまった。(伊藤博著「万葉集 一…
訓読 >>> 朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに 要旨 >>> 今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。 鑑賞 >>> 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。 男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきり…
●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(有間皇子) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 ◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武 (有間皇子 巻二 一四一) ≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む (訳)ああ、私は今、岩代の浜松の枝と枝を引き結んでいく、もし万一この願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)…
・しづまりし湖のみぎはのさざ浪に月照りてくるを見てい寝むとす(「さざ浪の国」)・近江の湖塩津の浦に寄る波のさゐさゐとしてさびしき真昼(「さざ浪の国」)・早苗田の棚田のなかを流れゆく八田部の川の瀬の音すみくる(「さざ浪の国」)・水底の藻草のなびきさえざえと見えとほるなりあまりさびしき(「さざ浪の国」) 滋賀県を旅されたときの歌です。 一首目の湖は琵琶湖でしょう。 二首目の「さゐさゐ」はさわさわと音がする様子を示す擬音語です。万葉集に柿本人麻呂の歌「玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来て思ひかねつも」があります。 三首目の八田部は滋賀県長浜市にある土地の地名です。 さびしいという言葉がよく出てき…
訓読 >>> 2844このころの寐(い)の寝(ね)らえぬは敷栲(しきたへ)の手枕(たまくら)まきて寝(ね)まく欲(ほ)りこそ 2845忘るやと物語りして心遣(こころや)り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり 2846夜も寝(ね)ず安くもあらず白栲(しろたへ)の衣(ころも)は脱かじ直(ただ)に逢ふまでに 2847後も逢はむ我(あ)にな恋ひそと妹(いも)は言へど恋ふる間(あひだ)に年は経(へ)につつ 要旨 >>> 〈2844〉このごろ寝るに寝られないのは、妻と手枕を交わして寝たいと思うからだ。 〈2845〉忘れられるかと、人と世間話などして気を紛らせて、物思いを消し去ろうとしたが、いっそう恋心は募るばかり…
4/4朝7時、昨日は友引のため本日が告別式だ。横浜から藤沢茅ヶ崎へ向かった。 (茅ヶ崎斎場で収骨を待つ親族一同) 茅ヶ崎斎場で火葬を終え、義父の遺骨を埼玉深谷市の菩提寺に収める。 住職にお経をあげてもらい、生前大好きだった日本酒🍶大吟醸もお寺さんに供えてもらった。四十九忌まで菩提寺にて遺骨安置をお願いする。 夕方埼玉深谷から茅ヶ崎へ戻る。 行きとは逆、深谷から関越自動車道、圏央道を通り寒川北インターチェンジで降りる。この間3時間弱‼️ここから5分から6分で茅ヶ崎市香川の天青に到着した。 17時半から「義兄と旦那の親子の語り部献杯」を茅ヶ崎の天青で行った。 故人を偲ぶ思い出話で花が咲く。 我が家…
甲辰年二月廿六日。清明節。気温摂氏11.8/20.2度。曇。東京で桜満開は史上2番目に桜の開花早かつた昨年より13日遅く4月になつたのも7年ぶりなのださう。3月にネットで拝見したこちらのセミナー。 翁と摩多羅神 - 富柏村日剩 しかしマダラ神を持ち出すまでもなく能で翁が程度の差ことあれ「聖別化」されすぎたのは戦後のことで能なんてものは黒川のみならずいい加減に見て良いのだらう。我々が式能であるとか大河ドラマとかで戦国武将が城内で神妙な表情え能を見てゐるやうなイメージも能は神聖なものといふ印象を増幅してゐるのかもしれない。ところでその日の日記(3月10日)に引用した多武峰(安楽寺)祭事について。当…
●歌は、「石上布留の神杉神さびて恋をも我れはさらにするかも」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 ◆石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨 (作者未詳 巻十一 二四一七) ≪書き下し≫石上 布留の神杉(かむすぎ) 神さびて 恋をも我(あ)れは さらにするかも (訳)石上の布留の年古りた神杉、その神杉のように古めかしいこの年になって、私はあらためて苦しい恋に陥っている。 (注)石上 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県天理市石上付近の地名。石上神宮や石上寺がある。…
前回、和邇氏について紹介した。天理市の和邇(わに)から櫟本(いちのもと)のエリアは和爾氏の拠点であったとされる。そのエリアにある東大寺古墳を取り上げる。次の流れで紹介していく。 ・東大寺古墳・漢中平紀年大刀(かんちゅうへいきねんたち)・赤土山古墳・和爾下神社(わにしたじんじゃ)・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)・和爾下神社古墳・柿本寺跡(しほんじあと)・楢神社(ならじんじゃ)・鬼子母神とザクロ・櫟本(いちのもと)■東大寺古墳所在は奈良県天理市櫟本町。形式は前方後円墳。大きさは推定で推定130m~140m。築造は4世紀後半。粘土槨の埋葬施設が発見されている。鉄刀や石製台付坩(…
2024年3月11日 太宰府天満宮を参拝した際、境内社にもお詣りをしました。 天開稲荷社 御祭神は、宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)を祀り、鎌倉時代に京都の 伏見稲荷大社から御分霊を勧請され、古来より九州最古の お稲荷さんとして親しまれているそうです。 太宰府天満宮本殿の先の裏庭を抜けて坂道を進んで行き、赤い鳥居が続く階段を上がっていきます 拝殿 御朱印をいただきました 奥の院: 拝殿の先の階段を上がると石で囲まれた奥の院があり、とても神秘的な空間でお詣りをすることができました 楼門手前の参道脇に鎮座する境内社 楓社: 菅原道真公の正妻である 宣来子様を祀っています 保食社: 穀物を司…
新大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交 目次 新大和川の河川敷を東へテクテク 上古からの信仰の山 志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交」 大鳥の羽易(はがひ)の山/柿本人麻呂 本文 www.zero-position.com 新大和川の河川敷を東へテクテク 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)を参拝後、少し南に下って新大和川。 ここから柏原市安堂(奈良県境付近)まで、約10キロの河川敷をほぼ直進、ひたすら歩きます。 お日様の上る東へテクテク 上古からの信…