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根岸線

(地理)
ねぎしせん

横浜駅−磯子駅−大船駅間 22.1kmを結ぶ、JR東日本鉄道路線
京浜東北線(愛称)」を成す、大宮〜浦和〜赤羽〜田端〜東京〜品川〜鶴見〜横浜〜磯子〜大船間の緩行線のうち、横浜〜大船間の正式名称。東海道線グループの支線に属する。
横浜駅から新杉田駅までは海に近いところを走り、新杉田駅から西に進路を変え、新興住宅地を通り抜けて大船駅まで走る。
1964年(昭和39年)の開通にしては、全国に先駆けて旅客線部分に踏切を全く設けず、立体交差とトンネルを多用した路線設計を採用しており、事故率の低さや定時運行率の向上を実現する、革新的な試みを図った。
全国でも珍しい国鉄時代からの黒字線。

運転系統

京浜東北線の電車が磯子駅・大船駅まで直通する。また、一部の横浜線の電車が乗り入れる。運転間隔は桜木町〜磯子間で日中およそ6〜10分に1本、磯子〜大船間で8〜12分に1本。
横浜線からの直通電車は、かつて磯子駅折り返しで運用されていて、のちに大船駅まで延長された。しかしながら、

  • 当時7両編成だった横浜線車両(現在は6扉車を増結した8両編成)は、根岸線区間内において10両編成の京浜東北線車両より明らかに「輸送力で役割不足」になってきたこと
  • 直通しない横浜線電車が横浜の一つ手前の東神奈川駅で折り返していることにより、横浜線方面(特に菊名駅・新横浜駅〜長津田駅)から横浜ベイエリアへのアクセスにとって今ひとつ不便で、東急東横線(当時は横浜から桜木町駅まで根岸線に並走していた)や横浜市営地下鉄に「客足を取られている原因の一つ」にもなっていること

という問題点が露見してきてしまった。これを改善すべく、

  • 鶴見駅・桜木町駅折り返しだった京浜東北線を横浜線直通電車の代わりに磯子駅・大船駅まで延長して日中の横浜線直通をごく少数を除きほとんど排除
  • そしてその分の横浜線電車の折り返しを桜木町駅で行なうだけでなく、かつては東神奈川駅で折り返していた横浜線の約半数をも桜木町駅折り返しに

とする改善を行なったため、現在は横浜線の大部分が桜木町駅で折り返している。

桜木町駅〜大船駅間は貨物列車も走る。これは根岸駅に新日本石油や本牧埠頭駅扱をはじめとする貨物扱いがある(以前は磯子駅にも、東芝や日清食品を始めとする工場貨物扱いもあった)ことと、旧東横線高島町駅跡〜桜木町間で高島貨物線が根岸線に乗り入れ、本郷台駅〜大船駅間で東海道貨物線に渡れる分岐線が設けられているため、東海道貨物線の海側ルートの役割をも担っていた(こちらはかつて東海道線大船〜藤沢間にあった湘南貨物駅の廃止により極減している)ことによる。そのため、京浜東北線は全線ATC化路線でありながら、根岸線内では貨物列車のためにATSが併用されていて、柱上信号機もしっかり運用されている、特殊な信号構造が使用されている(乗入れてくる横浜線も八王子〜東神奈川間ではATSだが、東神奈川から根岸線内ではATCで運用)。

かつては、土休日に横浜線からの直通電車が根岸線経由で大船駅を越えて横須賀線の逗子駅まで乗り入れる運用もあった。*1
さらに、一時期「はまかいじ号」などの特急列車が走っていたこともある。*2
路線カラーは横浜の海・空の色にふさわしいスカイブルー。

車両

京浜東北・根岸線

根岸線開業時には73系旧性能電車とスカイブルーの103系が走っていた。8連から10連に増強されている。
73系全廃後は103系に統一された時代が長く続き(ピンチヒッターとして101系も一時期活躍)、JR化後少ししてステンレスボディの205系(スカイブルー色の帯)が6本投入されている。

その後、205系の後継として、JR東日本は渾身の新性能電車901系試作車を先行投入。「製造コスト半分、ランニングコスト半分、重量半分、寿命半分、総メンテナンスフリー、複数メーカー競作、自社製造参加」のエポックメイキングな設計で話題をさらった。これはやがて209系量産型としてデビュー、京浜東北・根岸線ではこれが103系・205系の全てを置き換えた。配備途中から中間6号車を6扉車とする仕様変更が行われ、試作901系から量産化改造された3編成およびワイドボディの500番台(中央・総武緩行線からの移籍車)3編成を除く全ての編成の6号車が6扉車となった。この209系のDNAは、E231系を初めとして首都圏の私鉄各社にも多く採用された、車両構造のモデル共通化という偉業を産み出す礎となった。→走ルンです

その209系も登場から15年以上が過ぎ、初期に製造投入された編成は車両の更新(延命)工事を行なうかどうかの時期に差し掛かってきて一部には車体の歪みなども見られるようにまでなった。JR東日本では京浜東北・根岸線用の209系は全て新車両E233系に置き換える方針を固め*3、2007年秋から中央快速線に続いて順次投入が行なわれつつある。209系・E217系・E231系と進化してきたDNAはよりフレンドリーな車両に生まれ変わり、吊革の低位置化・液晶モニタによる情報案内装置の大型化による視認性向上・通勤型電車初の空気清浄機全車搭載・優先席の色彩区分明確化やドア縁の警告色着色などのバリアフリー対応などが盛り込まれている。

横浜線

東神奈川駅から乗り入れてくる横浜線の電車も、古くはやはり73系旧性能電車などの茶色4両編成から始まった。他線区から転属してきた103系7両編成の投入後も、小豆色をした73系の4両編成が磯子まで乗入れてくる姿は長く続いていた。
横浜線の103系は山手線と同じくウグイス色で、誤乗防止のために全編成の前後に「横浜線」の大型ヘッドマークが掲げられた。京浜東北線用の車両が転属してくることが多かったのと、所属の蒲田電車区で京浜東北線用と共通予備とされていたこともあり、スカイブルーの車両が混結されるケースが多く、その際はスカイブルーの車の全ての扉上(今で言う「弱冷房車」表示の位置)にヘッドマークと同じデザインで小さく「横浜線」と記されたステッカーが貼られていた。
この103系はJR化後まもなく、京浜東北線よりも早く205系(黄緑色と深緑色の二色帯)7両編成25本に置き換えられた。その後、京浜東北線用の6両に新造のサハ205を加えた編成が転属して26本となり、2004年に山手線から転属した8連1本(ドアの窓が小さく、前面行先表示がLED)が加わり、現在は27本の205系が活躍している。26本目までの編成には大船寄り2号車に6扉車が追加されており、現在は全編成が8両となっている。
かつて予備車不足のため、山手線から量産先行車(側窓が二段サッシ窓)を1本借り入れて運用していた時期もあった。現在は装備更新工事に伴う予備車不足対策および更新工事後の増発用として、山手線のE231系化によって捻出された1本が正式に横浜線に転属増備された。
205系の方向幕には「横浜線」の文字が入れられていたが、当初は上の段に「横浜線」*4・下の段に行先を同じ大きさの字体で2段表示としてしまったため遠目に文字が小さくとても判読しづらくなってしまい、また英語表記も省略されるなど不評であったことから、現在では方向幕の下地を黄緑色とし「横浜線」表記は方向幕の一番左に小さく縦書き・行先を大きく表示・快速の場合は京浜東北線などと同様快速マークを路線名と行先の間に表示・英語表記を復活するなどといった誤乗防止策が採られている。

駅・沿線

横浜駅
所在地:横浜市西区高島2丁目
全国屈指のターミナル駅だが、JR横浜駅は地理的構造上引上げ線を持たないため元々始発列車は殆ど無く、現在も臨時特急はまかいじ号(但し桜木町まで回送している)および成田エクスプレス(同大船まで回送)程度。
構造:地平部に京浜急行線を含む6面10線構造のうち、南行(下りに相当)3番線・北行(上りに相当)4番線の島式ホーム。
接続路線〜JR東海道線・横須賀線(湘南新宿ライン含む)・京浜急行電鉄本線・東京急行電鉄東横線/横浜高速鉄道みなとみらい線・相模鉄道本線・横浜市営地下鉄3号線(ブルーライン)
桜木町駅
所在地:横浜市中区桜木町。
言わずと知れた鉄道発祥の地・初代横浜駅。
かつては横浜港扱いの貨物の多くを取扱っていた東横浜貨物駅が隣接していたが時代の流れと共に廃止、1989年横浜博覧会の開催を始めとするみなとみらい21計画にあわせて再開発され、ランドマークタワーやクイーンズスクェア・国際展示場・よこはまコスモワールド(大観覧車コスモクロック21)・ワールドポーターズ(大型シネコン)を始めとするみなとみらいエリアへの玄関口を担っている。
駅前バスターミナルや日本丸周辺までがちょうどその東横浜貨物駅跡であり、そこから赤レンガ前・山下公園を抜けて山下埠頭へと至る貨物線が走っていた名残が「汽車道」という遊歩道である。
2004年1月30日、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業に合わせて、横浜から並走していた東急東横線が区間廃止された*5既に架線や線路は撤去されたが、架線柱は併走する国道16号線の街頭柱をも兼ねているため、部分的に切除されるに留まっている。横浜市では、この桜木町から高島町付近までの根岸線に並走する東横線跡の遺構を、遊歩道として整備する意向であることを発表した。
構造:高架線で中間に折り返し用の両舷ホーム構造1線を備えた島式ホーム2面3線構造。
接続路線〜横浜市営地下鉄3号線(ブルーライン)
関内駅
所在地:横浜市中区港町1丁目。
横浜市の市庁所在地(南口駅前隣接)で、伊勢佐木町・プロ野球団横浜ベイスターズのフランチャイズ球場横浜スタジアムのある横浜公園(市役所隣接)、神奈川県庁、古くから港横浜の玄関口である大桟橋客船ターミナルなど、繁華街や港横浜を象徴するプレイスを多く抱える、根岸線の顔と言えるメッカ駅。
駅名の由来は昔江戸時代に鎖国を解いたときに海側の外国人居留地と一般エリア(吉田新田)との境・現在の吉田橋付近に関所が設けられていて、その「関所の内側」であることから外国人居留地を指して「関内」と言われるようになったことから。したがって、現在は駅のアナウンスでも「か」にアクセントがついて徐々に下がる「んない」という呼び方をされてしまっているがこれは甚だしい間違いで、正しくは「か」ではなく後ろ全体にアクセントがある「かんない」と発音する。でも今ではかなりの人が駅のアナウンスと同じく「んない」と発音してしまうようになってしまった。
構造:高架上対向式ホームの2面2線構造で、両端に伊勢佐木町寄りの北口と、横浜市庁・スタジアム寄りの南口がある。
石川町駅
所在地:横浜市中区石川町2丁目。
中華街・元町・マリンタワー・山下公園・フランス山・港の見える丘公園・山手異人館・外人墓地など「最も横浜らしい観光地」の入口となる駅。
構造:関内駅と同じく効果上対面2面2線構造で、中華街西陽門・延平門寄りの北口(中華街口)と元町寄りの南口(元町口)がある。
ホームの壁面が全面アートペイントになっているのが目を引く。
大船方向に発車するとすぐトンネルに入って雰囲気が一転する。
山手駅
所在地:横浜市中区大和町2丁目。
一転して丘陵地帯のど真ん中に位置する駅。周囲はすっかり住宅地で豪邸があったりなんかもする。
ホームに屋根の掛かっていない部分があるのは、根岸線内では山手の南行ホームのみ。
この駅の開業によって、かつて山手線電車の行先表示幕が「山手」の漢字二文字表記だったものが「山手線」の三文字に改められたという逸話がある。
また、同じ根岸線沿線にある私立中学・高校の「山手学院」の受験生や新入生が当駅最寄と勘違いする事例もある(実際の最寄駅は港南台駅)。
構造:改札口側が半高架上の対向式ホーム2面2線構造。出口は最も横浜寄り1箇所だけ。
根岸駅
所在地:横浜市磯子区東町
根岸線の線名を戴く根岸駅は昭和40年代に開発された臨海工業地帯を抱え、隣接する日本一の生産量を誇る新日本石油精製(株)根岸製油所を始めとする貨物扱いがあるため、日石との間に貨物列車の留置線が設けられており、その留置線や奥に隣接している日石構内のヤードに多くの油送用タンク車がとまっている光景が日常的に見られる。
また、本牧ふ頭からの貨物を扱う貨物私鉄線神奈川臨海鉄道との接続駅でもあり、入換にJR貨物以外のディーゼル機関車が出入りしている光景にもお目にかかれる。(古くは本牧ふ頭からら山下公園や現汽車道を経て桜木町の東横浜貨物駅まで達する路線もあったが、既に廃線撤去されて久しい。)
構造:地平島式ホームの1面2線の海側に貨物留置線が数本。昔、まだ首都高速湾岸線が影も形も無い頃は貨物線がもっとたくさんあった。
最近、強引にエレベーターとエスカレーターを設置するために駅舎の構造を一新する大工事が行なわれた。そのためもはや開業当時の面影は全く無い。
近くには、丘の上に日本初の西洋式競馬場の跡地である根岸森林公園(JRA根岸競馬記念公苑「馬の博物館」併設)や米海軍横浜横須賀住宅地域(治外法権エリア)、明治時代の実業家・原三渓翁が残した日本庭園「三渓園」や市民プールのある本牧市民公園などがある。また、地元の根岸小学校(現在は横浜市立)は明治時代開校の「志敬学舎」に遡り約130年以上もの歴史を持つ伝統校で、校庭のど真ん中には巨大な楠の大樹がそびえ立っている(東京大空襲でも焼けずに残り、推定樹齢70年以上)。
磯子駅
所在地:横浜市磯子区磯子
磯子区役所の所在地。根岸線第一次開業当初の終点。
根岸駅〜本郷台駅の各駅はどこも駅前にそれなりの規模のバスターミナルを備えていて交通のハブとなっている。磯子駅はその中でもとりわけ路線数・バス会社数共に他駅より多い。
構造:地平式1面2線構造で、上下方向双方に折り返し設備を持ち、さらに根岸寄りの海側・日本超低温(株)の倉庫の手前に数編成収容の小規模な車庫となる旅客引上留置線を、また根岸同様に旅客ホームに隣接して貨物留置線を備えていて(首都高速湾岸線建設時に地理的影響を受けなかったのが根岸と異なる)、近所の工場を主な顧客とした貨物扱いがあった。現在では貨物留置線も縮小され跡地は切売りされビルが立ち並び始めている。
新杉田駅
所在地:横浜市磯子区新杉田町
昔は何とも無い駅だったが、横浜新交通金沢シーサイドライン開業により、八景島・臨海公園を経て京浜急行の金沢八景と結ばれ、主要駅へと一変した。
石川島播磨重工の造船所や東芝の半導体工場など大手メーカーの大工場を海側に抱える。東芝のグラウンドでは土日に時々、ジュニアサッカーでは強豪の全日空チームが練習している光景にお目にかかれていた。
根岸から並走していた首都高湾岸線ともここで別れる。
構造:高架上対向ホーム式2面2線構造。
洋光台駅
所在地:横浜市磯子区洋光台
第2次延伸開業の終点で、根岸線の誇る「3台」ベッドタウンその1。
根岸線が国鉄当時から黒字だったのは、繁華街エリアだけではなく洋光台・港南台・本郷台の「3台」ベッドタウン開発の賜物も大きく貢献していると言える。
横浜こども科学館(プラネタリウム併設)の最寄駅で、坂本弁護士一家の住んでいたところとしても知られる。
バスターミナルの規模では港南台に負けるが、それでもバス利用客は根岸より多い。
構造:堀割半地下構造の1面2線。昔は折り返し設備を備えたが現在は撤去されている。
港南台駅
所在地:横浜市港南区港南台。(とはいえ、ほぼ栄区上郷町。)
3台ベットタウン駅の中堅で、大型集合住宅団地のみならず短大や私立高校なども抱える学園都市駅。
駅前に大型スーパー(ダイエー)だけでなく、デパートの高島屋や映画館2面を備えるショッピングセンター「港南台バーズ」が鎮座しているところが他の2駅と差別化されている。(これまで洋光台になかったのが不思議だった。)
磯子に次ぐ大型バスターミナルを持ち、京浜急行・市営地下鉄・東海道線・横須賀線に囲まれた鉄道空白地帯への重要な足がかりとなっている。
構造:洋光台と似た堀割半地下構造の1面2線。
本郷台駅
所在地:横浜市栄区本郷台
15年ぐらい前まで横浜市戸塚区上郷町だったが、戸塚区があまりにもデカ過ぎるので戸塚区泉区栄区の3区に分割、旧戸塚区上郷町+αがまるごと栄区になった(お隣港南台も駅からちょっと離れると栄区上郷町)。で、その1町1区状態に近かった上郷町が少しづつ住居表示を変更されて違う町名に分割されてきていて、本郷台駅周辺は駅から地名に本郷台がついた。その駅名「本郷台」の由来は、栄区の歴史資料によると旧地名の鎌倉郡本郷村に因むとされている。
かつては駅近くに神奈川県消防学校が広大な敷地で鎮座しているのが見えたが厚木に移転され、跡地は再開発され国際交流センター「あーすぷらざ」等が順次オープンしている。
構造:土手上の島式ホーム1面2線。その横に留置線を数本持ち、主に東海道貨物線に出入りする貨物列車や、金沢文庫の東急車輛から京急逗子線・横須賀線経由で甲種回送されてくる列車の退避や折り返しに使われる。
大船駅
所在地:鎌倉市大船。とはいえ敷地の一部は横浜市栄区にまたがっている。
根岸線の終着駅で再び東海道線・横須賀線と合流する。根岸線で唯一横浜市外に出ている。
近くにJR東日本大船工場(2005年閉鎖)・鎌倉車両センターを抱え、横須賀線の本線起点なので横須賀線(および割と多くの東海道線/湘南新宿ライン)の留置線が併設されているも、根岸線の主車庫として使用されているところは見た事がない。
構造:橋上駅5面10線の一番端の島式ホーム1面2線。(9番線10番線)


リスト::鉄道路線

*1:これは横浜線車両が戸籍上所属している鎌倉車両センターに当時併設されていた旧・大船工場への検査入出庫にも用いられる運用だったが、同工場の廃止に伴い役目を失ったまま継続されていたもの。H19年のダイヤ改正で消滅した。

*2:経路は横須賀線〜大船〜根岸線〜横浜〜東神奈川〜横浜線〜八王子〜中央線〜甲府、踊り子号で使われていた185系車両。1999年運転を開始したはまかいじ2/3号は磯子始発着、その後2001年10月から鎌倉始発となり横浜発着の1/4号と合わせて2往復体制であったが、利用客低迷のため根岸線内を通る2/3号が廃止された。現在はかつて1/4号だった1往復だけが横浜始発着で残っており、根岸線内を送り込みのためだけに回送列車として通過するのみとなっている。

*3:車歴の浅いワイドボディの500番台(中央・総武緩行線からの転属車)はそのまま帯色を赤に変更して京葉線へ転属予定、その他は4両編成に短縮して房総半島で運用されている113系を置き換えるべく改造と余剰車の廃車が進行中。

*4:快速電車の場合は「横浜線」に続けて赤字で「快速」

*5:2/1が開業日だが東横線横浜〜桜木町の廃止は1/30限り。1/31が空白の1日となり、横浜に到着した東横線電車はみなとみらい線内を訓練と試運転のため回送された。

*6:NHKの深夜ドラマ「火消し屋小町」にもこの消防学校が登場した。

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