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桑田真澄

(スポーツ)
くわたますみ

桑田真澄は、元プロ野球選手、野球解説者、東京大学大学院に在学。
右投右打、ポジションは投手。
1968年4月1日生まれ。大阪府八尾市出身。血液型AB型。
身長174cm・体重80kg。
PL学園高校で清原和博とのKKコンビで活躍、甲子園優勝、春夏連覇。
早稲田大学進学が決まっていたが、ドラフト1位指名を受け、読売ジャイアンツに入団。*1

1年目より先発投手として活躍、斎藤雅樹、槙原寛己と共に三本柱として、90年代のジャイアンツを支えた。
マウンドでボールに話しかける姿は印象的である。
落差よりもスピードを重視したフォークボール=SFF(スプリットフィンガード・ファストボール)の使い手として有名。弧を描くようなカーブも持ち味。*2

投球はもちろん、打撃にも完璧さを常に求めており、2005年5月までに通算打率.219、7本塁打を記録。
2003年には代打を告げられ、安打を打った事もある。

2005年以降、登板機会が減少。
2006年、公式HPでメジャーリーグ挑戦を宣言し、読売ジャイアンツを退団。
2007年、招待選手としてピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。
オープン戦で右足首を痛め開幕メジャーはならなかったが、6月8日にメジャー昇格。
昇格に際し、巨人時代と同じ背番号18が用意された。
同日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板。
早速、元同僚・松井秀喜との対決も実現した。
パイレーツでは中継ぎとして活躍していたが、8月14日に戦力外通告を受ける。
2008年、ピッツバーグ・パイレーツと再びマイナー契約を結ぶ。
2008年3月26日、現役引退を表明。
2010年、早稲田大学大学院修了。
2013年、東京大学硬式野球部の特別コーチに就任。

経歴

年度 所属 背番号 備考
1983〜1985 PL学園高校 1 甲子園20勝は戦後最多・歴代2位。6本塁打も清原和博に次ぎ歴代2位
1986〜2006 読売ジャイアンツ 18*3 -
2007〜2008 ピッツバーグ・パイレーツ 52→25*4→18 マイナー契約

*1:世間では清原和博が入団するものと思われていたため、騒動になった。

*2:しかし、2004年に満塁本塁打を打たれた影響か、『実況パワフルプロ野球11』の持ち球はチェンジアップに変更されている。

*3:藤田元司、堀内恒夫と受け継がれてきた読売ジャイアンツのエースナンバーである。桑田メジャー移籍後は2012年にFA移籍してきた杉内俊哉が着用するまで空き番となっていた。

*4:3Aインディアナポリスでの番号

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