中国の政治家、政治思想家、教育家。1873〜1929
列強が盛んに中国に侵入した19世紀後半に生まれる。
18歳で康有為に師事して革新運動を志す.1898年,皇帝を動かして改革の実現を計ったが失敗し(戊戌政変),日本に亡命。日本語文献を通じて西欧の新しい学説・思想を吸収した.この間ハワイ,オーストラリア,アメリカと各地の同志を訪ねる一方,雑誌『新民叢報』を発刊して論陣を張った.
1911年の辛亥革命が発生。12年,孫文が中華民国臨時大総統に就任するが,梁啓超はこの年日本から帰国する.政治の実権は袁世凱に移り,梁は袁の指名で組閣された内閣の司法総長に就任する.
1915年,袁世凱の帝位就任に対し梁啓超は反対運動に立ち上る.17年,張勲の復辟があり,梁は討伐軍に加わる.18年暮れから1年余,ヨーロッパ各地を遊歴,帰国後は政治活動の第一線を退き教育事業に専念する.