70〜80年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは遊撃手。背番号は35→23→24→32番。
1947年2月1日生まれ。京都府出身。
京都商業高校*1の2年次に夏の甲子園に出場。
卒業後、日本新薬を経て、1969年、ドラフト9位で読売ジャイアンツに指名され、翌1970年に入団。
1971年、広野功・浜村孝との3対2の交換トレードで、高橋明・田中章と共に西鉄ライオンズに移籍。
控えの野手として一軍に定着。
1973年、太平洋クラブライオンズにて遊撃手の定位置を獲得。
同年5月20日の近鉄バファローズ戦で打った初本塁打がプロ野球通算30000号として話題になったが、 1976年になって29999号と訂正された。
1976年、坪井新三郎・広瀬宰との1対2の交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。
人工芝対策として獲得。熱意のあるプレーで人気を博し、控え野手として活躍した。
1980年、シーズン途中に日本ハム・ファイターズに移籍。
同年、現役引退。
現在は、京都市南区で、スポーツ用品店を経営。
また、京都府少年野球連盟の役員を務めている。
*1:現在の京都学園高校。