詩人。…同じく詩人としても文学者としても有名である鮎川信夫の学生時代の詩仲間であり、もっとも親しい友人だったという。…太平洋戦争の最中にビルマにて死去。
森川義信の「あるるかんの死」を読みました。青空文庫で読みました→図書カード:あるるかんの死 底本は『増補 森川義信詩集』(国文社)991年刊。 森川義信は大正18年(1918,年)香川県生まれの詩人。中学時代から詩を書き、詩誌に投稿していました。昭和12年「LUNA」に参加。ここで知り合った鮎川信夫、中限雅夫らとともに昭和14年「荒地」に加わりました。昭和17年(1942年)25歳の若さで、ビルマの戦地で病死しています。
本日、早稲田大学図書館より河田誠一出身地香川県仁尾町に派遣調査がありました。綿密なこれまでの資料も頂き、今後の研究に役立てたい。 観一の図書館発行のリベルタに「観一出身の文学者十人」その中に【夭折した天才詩人」として河田誠一(三中昭4年卒)・森川義信(三中昭11年卒)を取り上げている↓
勾配 森川義信 非望のきはみ/非望のいのち/はげしく一つのものに向かって/誰がこの階段をおりていったのか/時空をこえて屹立する地平をのぞんで/そこに立てば/かきむしるように悲風はつんざき/季節はすでに終わりであった/たかだかと欲望の精神に/はたして時は/噴水や花を象嵌し/光彩の地平をもちあげたか/清純なものばかりを打ちくだいて/なにゆゑにここまで来たのか/だがみよ/きびしく勾配に根をささへ/ふとした流れの凹みから雑草のかげから/いくつもの道ははじまってゐるのだ 時代の傾斜を痛いほど感じ、現代人として思想的に苦悩し、生きてゆく精神風景を描いている。暗い青春を共に生きる厳粛さがあり、抒情の衣装を脱…
観音寺市粟井町には軍人墓地がなく、したがって夭折詩人【森川義信】を顕彰・供養する公碑はない。ただ「殉国碑」の裏面の戦没者名一覧の中にその名だけが刻まれているが、それも苔むして哀れなり。他には、本庄地区一般墓地、森川家の墓標の中に刻銘があるのみ。
命なりわづかの笠の下涼み 芭蕉(俳諧江戸広小路) 延宝4年夏 33歳の芭蕉二度目の帰郷の折、西行ゆかりの小夜の中山にて詠まれた句。「非望のきはみ 非望のいのち」は森川義信畢生の名詩「勾配」の初句。 日の出ない朝はないとは知りながら今日は旭日を拝めぬからに⋯⋯【命】をこめて
芭蕉の真蹟奥の細道「早苗取る」の一句刻める「早苗塚」 日本の「最初の俳句」刻まれる一夜庵前ひっそりと建つ ビルマにて戦没詩人森川義信生家前に建つ「勾配」の詩碑 永遠の今生ききって大平さん「親友からの挽歌」刻まる 南溟に海上特攻暁部隊「留魂像」建つ一の宮松原 「水車小屋」五郷土山里に復活す急かず騒がず長閑に廻る 全国無比仁尾の町の「戦没墓碑」皆同じ形平等に建つ 遠浅の砂浜「三豊干拓地」戦後の食糧難救いたる地所 「木の鳥居」義経無戦勝祈願して奉納したる琴弾八幡
勾 配 森川義信 非望のきはみ 非望のいのち はげしく一つのものに向かって 誰がこの階段をおりていったのか 時空をこえて屹立する地平をのぞんで そこに立てば かきむしるように悲風はつんざき 季節はすでに終わりであった たかだかと欲望の精神に はたして時は 噴水や花を象眼し 光彩の地平をもちあげたか 清純なものばかりを打ちくだいて なにゆゑにここまで来たのか だがみよ きびしく勾配に根をささへ ふとした流れの凹みから雑草のかげから いくつもの道ははじまってゐるのだ 時代の「傾斜」を暗示した、産土の周辺「勾配」風景、溜池・野鳥
あなたは友人の詩に詠んでもらえるか? 唯一人、M(森川義信)は、詩人鮎川義信の代表詩「死んだ男」に詠んでもらえた。 Mよ、昨日のひややかな青空が 剃刀の刃にいつまでも残っているね。 だがぼくは、何時何処で 君を見失ったのか忘れてしまったよ。 短かった黄金時代ー- 活字の置き換えや神様ごっこー- 「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて⋯⋯ いつも季節は秋だった、昨日も今日も、 「淋しさの中に落ち葉がふる」 その声は人影へ、そして街へ、 黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。 戦後詩の代表詩人鮎川信夫。彼の処女単行詩集の冒頭に置かれた詩。戦後の現実に取り残された「ぼく」は、戦病死した詩人のM…
自分には大学教授のような研究論文があるわけでなく、万葉関連エッセイが数十編ある程度のささやかな雑学者趣味人に過ぎない。私のひそかなホームグランドは「随筆無帽」を毎月発行する無帽の会である。ここにこれまで、万葉集に関するエッセイを二十年継続的に発表した。それに『万葉集』全歌四五一六首を色紙に筆ペンで書き、水彩画の絵も添えた。 これまで誰もしなかったことだと思っている。朗唱して味わうのも犬養孝先生のなさったことである。曲に乗せて歌った歌姫もあった。そのブームが終わると、それも廃れて消えてしまう。色紙に書いて・描いて保存できないものだろうか。そのような算段で「万葉歌の色紙化」を私流に始めた。美術品で…
【観音寺市文学碑50基】 ①豊浜町文学碑 1 大平正芳墓碑・伊東正義の悼詩(豊浜墓地公園) 2 大平正芳辞世碑(豊浜八幡神社) 3 合田俊二歌碑(豊浜墓地公園) 4 高木樹史句碑(豊浜墓地公園) 5 大野硝子墓誌銘中(豊浜墓地公園) 6 石川翠山歌碑(豊浜墓地公園) 7 大西魚帆句碑(宗林寺) ②大野原町文学碑 1 芭蕉黄葉塚句碑(萩原高尾観音堂) 2 芭蕉野松塚句碑(中姫弁天社前) 3 平田風石句碑(下木屋慈雲寺前) 4 平岩ひろむ歌碑(紀伊項懸神社) 5 真鍋綾子歌碑(萩の丘児童公園) 6 南浩二句碑(萩の丘公園) 7 竹広登歌碑(花稲一方宮) 8 平岩久忠歌碑(有木三部神社) 9 萩原澄…
森川義信の代表作「勾配」詩碑 生家前(香川県観音寺市粟井町本庄) 非望のきはみ 非望のいのち はげしく一つのものに向かって 誰がこの階段をおりていったのか 時空をこえて屹立する地平をのぞんで そこに立てば かきむしるように悲風はつんざき 季節はすでに終わりであった たかだかと欲望の精神に はたして時は 噴水や花を象眼し 光彩の地平をもちあげたか 清純なものばかりを打ちくだいて なにゆゑにここまで来たのか だがみよ きびしく勾配に根をささへ ふとした流れの凹みから雑草のかげから いくつもの道ははじまってゐるのだ 令和4 年8月27日 四 国 新 聞 夭折の詩人をしのぶ 戦没80年をしのぶ 小説『…
令和4 年8月27日 四 国 新 聞 夭折の詩人をしのぶ 戦没80年をしのぶ 小説『詩人森川義信伝』を出版 ~名詩「勾配」~郷土史家が魅力紹介
この明快な解説図(T氏説)を参考にもう一度「勾配」を熟読・心読ありたし。 森川義信の「勾配」 戦後の現代詩「荒地」のさきがけとも言われる詩 である。 勾 配 森川義信 非望のきはみ ※非望=かなえられないほどの野望 非望のいのち はげしく一つのものに向かって 誰がこの階段をおりていったのか 時空をこえて屹立する地平をのぞんで ※屹立(きつりつ)=聳え立つ そこに立てば かきむしるように悲風はつんざき 季節はすでに終わりであった たかだかと欲望の精神に はたして時は 噴水や花を象嵌し ※象嵌(ぞうがん)=金属に模様をはめ込む 光彩の地平をもちあげたか 清純なものばかりを打ちくだいて なにゆゑにこ…
昨日の森川義信没後80年記念講演に補足して、衣更着信(本名、鎌田進)のエッセイ を紹介します。西讃出身の森川義信を東讃の衣更着進が称賛した貴重なエッセイです。 ★☆森川義信の【現代詩における生命頌歌】を再発掘☆★今日は畑仕事をやめて この文章をじっくりご賞味下さい。 森川義信の詩をめぐって ー現代詩における生命頌歌の再発掘 衣更着信 『森川義信詩集』は森川義信の墓標である。 『荒地』の周辺より抜粋
令和4年8月13 日 没後80 年記念 香川県を代表する戦没詩人 森川義信
愛と平和の世を ―時代の犠牲になった人々を偲びつつー 戦後七七年目の夏を迎えた。戦後世代の多くなった今、昭和の戦禍について沖縄の悲惨さ・広島長崎原爆ほか様々な悲劇を想起し、多くの戦争犠牲者を偲び慰霊供養する夏―。戦陣に散った人々を偲び、平和の有難さを実感したいものである。郷土に共生する我々がここ一堂に集い、愛と平和の確認と推進に努めたいと念じる。昭和の過ちを繰り返さない、令(うるわ)しい令和を希求したはずの、混迷を極める昨今の世界情勢を危惧し、我々は四国の片隅で、愛と平和の深く根付くことを念じるものである。 戦後七七年の今年は、戦没森川義信没後八十年に当たる。 〔森川義信は、昭和十八年八月十三…