プロ野球選手・指導者・野球解説者。
右投右打、ポジションは内野手。背番号は31→23→15→4番。
1960年8月6日生まれ。兵庫県出身。
社高校から1979年、ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。
1984年、加藤英司・大原徹也との2対2の交換トレードで、福井保夫と共に広島東洋カープに移籍。
同年、控えの内野手として一軍に昇格。
1987年、西山秀二との1対2の交換トレードで、永田利則と共に南海ホークスに移籍。
1993年、三塁手の定位置を掴み、活躍した。
また同年、一塁・藤本博史、二塁・湯上谷宏、三塁・森脇、遊撃・小川史の「ヒロシ」内野カルテットを見せた。
守備の名手として鳴らし、控えの野手、守備固めとしての起用が多かった。
1996年、現役引退。
1997年、スコアラーに転身。
1999年、福岡ダイエーホークスの二軍内野守備走塁コーチに就任。
2001年、一軍内野守備・走塁コーチに昇格。同年よりホークスの三塁コーチを務める。
2006年、チーフ兼任となる。オープン戦にて、WBC出場の王貞治監督の代理を務めた。
また、王監督の病気療養のため、同年7月6日より、福岡ソフトバンクホークス監督代行を務める。
2009年、退団。
2010年から野球解説者に転身。同時に編成アドバイザーとしてホークスに引き続き携わる。
2011年、読売ジャイアンツの二軍コーチに就任。
2012年、オリックス・バファローズの野手チーフコーチに就任。同年9月25日から休養した岡田彰布監督の代理。
2013年、オリックス・バファローズの監督に就任。
兄の森脇忠之は社高校の監督。ノックの正確さにかけては球界でも類を見ない。
森脇は広島東洋カープ時代、同年齢の津田恒実と出会う。
幾度の怪我と闘う森脇と、病魔と闘う津田の間柄はいつしか切れないものとなった。
1993年7月20日、津田が逝去。
同年、森脇は当時学生であった1人の女性と出会う。
まるで津田の生まれ変わりであるかのような運命的な出会いであった。
翌1994年、森脇はその女性と結婚する。
結婚式場には親友・津田の席が用意されて、キャンドルサービスを行った。