オセロの黒を白へとひっくり返してゆくように、 あらゆる罪悪感を、単なる〝間違い〟へと 置き換えてゆくことこそが〝贖う(あがなう)〟ということ、 すなわち、訂正することだと理解した今日この頃である。 僕の日常で言えば、 フィリピン工場の財務諸表がなかなか出てこないのは、 フィリピンの経理スタッフがいい加減だからだ、とか、 元コンババ部長は、あまりに真面目で細かすぎる、とか、 元NGT48の まほほん は可哀想すぎる、とか、 それらは全て〝罪〟ではなく、ただの間違いだった、と、 確認してゆくこと、そして、 次々に現れては消える〝罪のように見えるもの〟を、 ただの〝間違い〟に置き換えてゆくことによっ…