漫才師。本名、木村雄二(きむら ゆうじ)。 1944年3月18日生まれ、高知県出身。横山ノックに入門後、西川きよしと漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」を組み、一世を風靡した。しかし、度重なる暴行事件などによって吉本興業から追放される。1996年1月21日にアルコール性肝硬変で天賦の才を生かし切ることなく早逝。享年51歳。 息子木村一八は俳優、娘光(木村ひかり)は漫才師。
一条真也です。昨年の12月29日にブログ「松本人志はクズなのか?」という記事を投稿したのですが、現在もアクセスが集中しています。原因を調べたら、どうやら「松本人志 クズ」という検索キーワードで上位にあることが判明。この記事の他にも、ブログ「松本人志の活動休止に思う」、ブログ「太田光のコンパッション」、ブログ「年長者の遊びの作法」などでも松本人志氏の性加害疑惑に言及、さまざまな映画レビューでもこの問題を取り上げてきました。 2月8日発売の「週刊文春」では、松本氏が性的行為などを強要した疑惑について「第6弾」を報道。同誌では、これまで告発した11人の女性の話に共通していることとして「直前まで飲み会…
大阪市の職員が上司に熱湯をかけたり、スタンガンで痛めつけたり、しっちゃかめっちゃかしまくって懲戒免職になっていました。こんなことは修羅の国・大阪市ですから日常茶飯事です。驚くことではありません。それよりもわからないのが大阪市長です。 この職員の懲戒免職の報道に対して大阪市長がコメントをしていたのですが、その姿を見て思ったのが「誰やこいつは?」でした。維新の会の人が大阪市長になったのは知っていました。ていうか、選挙結果は開票と同時に当選確実が出て他の候補が瞬殺されていましたからインパクトはあったわけです。ただ、私の中の印象は「維新の人が大阪市長になった」で止まっていて、その後はテレビに出てくるの…
お笑い界の名バイプレーヤーと言われた笑福亭笑瓶さんが、急性大動脈解離のため2月22日、66歳の若さで亡くなった。 報道陣に囲まれ「師匠より先に逝くっておかしいじゃないですか」と悔しそうに語る師匠・笑福亭鶴瓶の言葉を聞き、ふとどこかで同じコメントを聞いたことを思い出した。 「師匠より先に死ぬ弟子があるかい」に続けて「あんた、最後まで警察の世話になったな、と言いました」。 そう、あれは「やっさん」こと、横山やすしが死去した際、大阪・摂津警察署で遺体と対面した師匠の横山ノック(当時大阪府知事)が語った言葉だった。 やっさんの妻・啓子夫人が自宅で倒れている夫を発見したのは、平成8年(1996)1月21…
booksch.hatenablog.com 【本屋物語】11月29日号 My favorite food is the#酢豚定食 600円 | 日本人の心を唄う99円EP盤特集2 | NEWS #宮台真司 My favorite food is the 酢豚定食 酢豚定食に勝てる定食はそうそう無いと思っています。酢豚定食は小宇宙であり、栄養を含め 全て揃っていてstartからgoalまで完結しています。本日は ただただ あ~酢豚定食が食べてみたいと思っていたところ 不思議な縁で以下の酢豚定食の写真との巡り会わせがありましたもので 勢いで こちらの はてなBl0G に明記させて頂きました。しか…
木村一八「父・横山やすし伝説」の巻末年表、Wikipediaの記述、小林信彦「天才伝説横山やすし」の記載を元に作成。 1944年(昭和19年)0歳 3月18日、高知県幡多郡広瀬島村(現在の宿毛市沖の島)に誕生。父・庄吉、母・輝子。父は大阪府堺市在住で、出生届は堺市神石の役場に出された。母は旅館で仲居のアルバイトをしていた小川姓の島民女性で、島へ巡業に来た旅回り芸人一座の団員との間に私生児として生まれた。生後三ヶ月で当時、高知に疎開していた木村家に養子入り。夏に母子共に父のいる堺に行くが、母は肥立ちが悪く沖の島へ戻る。雄二の面倒は、父の友人である理髪店の若林真吉の嫁、タキヨが見た。 やすし自身は…
『父・横山やすし伝説』(木村一八著、宝島社、2018年)を読む。 「破天荒なイメージとは逆に本人は気の弱い人間だった」というよく知る人たちの証言を裏付けるかのようなエピソードが並ぶ…のかと思いきや、学校帰りの一八を連れて突然アメリカに飛行機を買いに行ったり、その飛行機で富士山の初日の出を見たり(子らはドン引き)、淀川に勝手に競艇場を作ったり、市役所の人間に川門の鍵を開けさせてボートで花月に通ったりと、十分破天荒である。 これを全部「演じていた」とも思えず、殆どの部分は地だったのだろう。それでも人間だから弱音を吐くときだってあるのは当然。 息子にしか書けないのは、やすしの父親としての「しつけ」の…
コンプラが厳しくなって過激なことを書きにくくなる一方の時流に抗う手段の一つとして、例えば吉田豪が用いているのは、 「他人の発言を評するというかたちで過激な発言を引用する」 というテクニックである。 その手法が最大限に効果を発揮しているものの一つに、横山やすしの対談集『横山やすし』(データハウス、1986年)を論じた文章がある(「続々聞き出す力」所収)。 この本は、『週刊宝石』連載の「激情ムキ出し対談」をまとめたものだが、表紙にもどこにも対談集だという説明すらなく、個人名がそのままタイトルになっていて、この時点でヤバいのだが、中身はそれどころではない過激さである。 吉田豪のインタビュアーとしての…
「オヤジは、自分は何を言われてもええけど、家族のことを言われたら怒りはる人でした。こっちが『謝れ』言うてから謝りに来るくらいなら、謝ってもらわんでもエエ」 平成8年(1996)1月25日、故・横山やすし(享年51)の初七日法要の後、報道陣の囲み取材に答えた長男・木村一八は、ダウンタウンの松本人志に対し、こう言って怒りをあらわにした。 コトの発端は、松本のレギュラー番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)で前年9月から始まった「やすしくん」というコーナー。 黒ブチめがねに短めのオールバックで「ワシは日本一の芸人や!怒るでぇ~、しかし!」と、誰が見ても生前の横山とわかるキャラクターでギ…
★★★☆☆ あらすじ 刑期を終え出所したヤクザの男は、芸能事務所を始めた組長の指示により、ある女性をスターにするため奮闘する。 感想 やくざの世界を舞台にしたコメディ映画だが、正直あまり笑えない。笑えるような空間が作れておらず、すべてが流れていってしまう。そもそもどこが笑いどころかすら分かりにくかった。 主演の横山やすしも演技自体は良いのだが、案外コメディーシーンは下手だ。とりあえずなんでも威勢よくやってしまうので緩急がない。もしかしたらコントもちゃんとできないのでは?と疑ってしまった。彼は上手く操ってくれる人がいてこそ輝くのかもしれない。 やすきよ漫才傑作選(1) アーティスト:横山やすし,…
前回はビバヒルで90'sの西海岸ライフへとタイムスリップしたばかりなのに、わたしときたら…それと並行して猛烈に見まくっていた動画があるのです。 ええっとそれが…告白致しますと、横山やすし師匠、いいえ!ここは親しみを込めてやっさんと呼ばせて頂きましょう!在りし日のやっさん動画の数々。 家族をして『ビバヒルとやっさん行ったり来たりって…頭ん中一体どうなってんの大丈夫…??』と中年女性の脳内を憂いていたのですが、自分でも理由などわかりません(笑)。 ただ、猛烈にやっさんの笑いを求めてしまいまして、と申しますか、コントよりも何よりも、わたし個人的にはあの御仁の日常(?)がハチャメチャに面白すぎて…もう…
こんにちは、まわりみです。 愛用しているソーラー電波時計がここ1年ほど時間がズレてしまっていて修理に出すべきか悩んでいたのですが、太陽の光に当てたところすぐに正確な時間を刻むようになって驚きました。お天道様、すごいです。ところで使い始めて7年ほどのシチズンのエクシード、全然飽きなくて本当に良い買い物をしたと思っています。 mawarimixx.hatenablog.com ーーーーーーーーーー 先週のナイナイとオードリーのオールナイトニッポンについての話です。 実生活では誰とも話せないので毎週書いています。 ヘビーリスナー歴は26年、リトルトゥース歴は10年です。 2024.4.11<ナインテ…
堅実性のパーソナリティにおいて、それが高い人がいれば、低い人もいて、またその真ん中ぐらいの人もいる。 現代社会においては、堅実な人のほうがよいとされるが、それは現代が極めて安定した世の中で将来があることが高い確率で保証されているからであるが、昨日までの社会においては、常に今日生きるか死ぬかであるから、必ずしも堅実性を美徳とする考え方ではなかったそうだ。 また現代において、堅実性が異常に高い人は、偏執的な収集家になったり、芸術作品をうみだしたりし、異常に低い人は、豪傑な政治家や昭和の映画俳優になったりするが、ギャンブルや犯罪とかで身を崩すこともあるのだろう。こういう人たちが天才なのかもしれない。…
林家木久扇師匠 撮影/野﨑慧嗣 桂歌丸、五代目三遊亭圓楽、三波伸介、前田武彦、七代目立川談志。林家木久扇が見てきたかつての「笑点」の司会者たちは、魅力的で変わり者だった。 【画像】58年続く国民的番組「笑点」を立ち上げたのは、伝説的落語家・立川談志だった そんな彼らとの秘話を、『バカの遺言』より一部抜粋、再構成してお届けする。 かつての「笑点」の司会者も、キラリと光る素敵なバカだった 「ぼくは司会者を5人送ってる。そのたびに香典代が3万円ずつですよ……」というのは、「笑点」や寄席でよく言っているネタのひとつです。いや、ホントのことなんですけどね。最初から順に、七代目立川談志さん、前田武彦さん、…
満開のふれてつめたき桜の木 鈴木六林男。北嵯峨広沢池の畔にある植藤造園は、十六代佐野藤右衛門の私邸でもあるが、桜の咲くこの時期、中に立ち入ることを許している。十六代の父、十五代佐野藤右衛門は円山公園の枯れた「祇園枝垂れ桜」のいままさに咲き誇る二代目を戦後復活させたことでその名を知られている。一条通あるいは宇多野嵐山山田線という長ったらしい通りから入ると、いやその近くまで来れば高い丈の枝先から通りに垂れ下がる花の房が目に入る。植藤造園の樹木の植わる敷地は通りを挟んだ向こうにも広がっているのであるが、車の出入り口から足を踏み入れた敷地はその区別のつかぬすでに佐野家の庭であり、すぐ右手の透けた茂みの…
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OZZY OSBOURNE、MOTLEY CRUEといったヘヴィメタル・ハードロックのビッグネームたち、漫才師の横山やすし師匠の破天荒なエピソードについて紹介させて頂きました。 その昔の表現者は…やはり常識を覆す言動が神格化され、神秘性となってそのパーソナリティーの評価を高めていました。 人は自分が出来ないことをやってのける人に憧れる傾向もありますからね、、、但しそれも昔の話。 今では少しでもはみ出すような言動があれば、直ぐに排除するメカニズムが出来上がってしまっています。 その主たる原因はネット社会。 ネット社会が一般的なものになった時点で、表現が選ばれし、限られし者だけではなく、誰にでも与…
その道とは…政治家。 参議院選挙に出馬したのです…きよし師匠が出馬した際には明確に批判したやすし師匠が、である。 結果は当然といって良いだろうか…落選。 一方のきよし師匠は当選、まさにはっきり明暗が分かれる形となりました。 その後のやすし師匠です。 タレントの大村崑さん(オロナミンCのCMでお馴染み)の自宅に出向き、今後の道を相談することに。 その時、やすし師匠は奥さんと漫才をしたいとこぼしていたそうです。 また阪神大震災で炊き出しのボランティアをしたこともあったそうで、その時はレスキュー隊員と即興漫才を披露したそうです。 また最後のステージは落語家・桂福團治師匠との漫才だったそうです…結局、…
事故を起こした後、やすし師匠は「決してわざわざ事故しようと思ってしよう思ってやったのと違うので、ひとつ宜しくお願い致します。」と記者会見で話したそうですが、所属する吉本興業さんからは既に前回の不祥事の際、「次に不祥事を起こした際は即刻、専属契約を解除する」と最後通告を受けていました。 契約解除を通告したのは事故から9日後。 夫人と会社を訪れたやすし師匠は最初詰め寄ったそうですが、もはや検討の余地さえ残されておりませんでした。 思えば…今の世の中、というよりも、漫才、芸能の世界だからこそ、しかも孤高の天才漫才師だったから許されて来た裁定だった訳ですが、さすがにここまで反省するどころか同様の事故を…
そんな中…漫才師“横山やすし・西川きよし”にとって大きな転機となる話が浮上しました。 それは…西川きよし師匠が参議院選挙に出馬することになったのです。 きよし師匠は相方・やすし師匠に関して「一番に後押ししてくれた」と仰っているんですが…一方のやすし師匠は“裏切り”と反発。 「(きよし師匠が)当選すると思うか?」という質問に対して「落ちる。ほんまに落ちる。」「応援はせん。落ちる奴にそれ行けとは言えんやろ。」として否定的な発言をしたり、実際に対立候補であるフリーアナウンサーの中村鋭一さんをやすし師匠の師匠である横山ノック師匠と共に応援したそうです。 結果は当選、西川きよし師匠は晴れて参議院議員にな…
漫才コンビ“横山やすし・西川きよし”として、順風満帆に見えた1971年にある事件を起こします。 タクシーに乗車した際、運転手に無理矢理運転を代わらせて走行、暴行を働いたというのです。 加えてその実況見分において警察官から免許の提示を求められた際、「俺、国際免許やねん」とその要求を拒否、結果無免許も発覚したそうです。 ちなみにそのやりとりの中で見せたのが「グアムで国際免許を取ろう!」と書かれたチラシ。 何故そんなチラシを持っていたのか…不謹慎ですが面白過ぎる。 とにかくこの事件により結果2年4か月の謹慎処分を受けたやすし師匠。 一方その間1人での活動を余儀なくされたきよし師匠ですが、司会などを高…
とにかく孤高の位置にまで上り詰めた横山やすし師匠、西川きよし師匠の“やすきよ漫才”。 とにかく“天才漫才師”のような語られ方をすることも多いのですが…実は数え切れない程の苦労、葛藤、闘いがあったそうです。 やすし師匠は非常に研究熱心で、喫茶店で他人の会話をノートに書き留めネタ作りの参考にしたり、先輩方の漫才を分析したりと、一流の漫才師になるための努力を惜しまなかったそうです。 人はとかく有能な人を“天才”の一言で片づけがちですが…その実、地道な努力を重ねていることが殆どです。 一方のきよし師匠も…とにかく稽古を重ねるタイプ。 数回台本に目を通すだけで直ぐに自分のものに出来るやすし師匠から見ると…
その後、横山やすし・西川きよしの漫才は破竹の快進撃を繰り広げます! 1967年に新人賞に輝いたわずか3年後、結成4年目にして早くも『上方漫才大賞』の大賞を受賞。 その後あらゆる漫才の賞レースを総なめにして行くのです。 何と言っても芸風が唯一無二の“両ボケ両ツッコミ”スタイル。 昨今、笑い飯のお二人が同じく“両ボケ両ツッコミ”のスタイルで『M-1グランプリ』のチャンピオンに輝きましたが…その40年前に一世を風靡する“やすきよ漫才”を確立したのでした。 爆笑につぐ爆笑で何が台本で何がアドリブかも分からない程に自由奔放なスタイル、それはまさに“伝説の漫才師”に相応しいものでした。 漫才という世界は先…
私よりも上の世代でいうと…やはり破天荒な芸人と言われて直ぐに思い浮かぶのが…横山やすし師匠。 1944年生まれ、1996年、51歳で亡くなられた…今の私より若いお歳でお亡くなられていたんですね。 漫才の世界に飛び込むキッカケは…中学2年生の時に同級生を誘って参加したラジオの素人参加番組『漫才教室』。 ここから中学卒業後、松竹芸能に入ったそうです。 エー!?松竹芸能ーーー!? 何か勝手に吉本興業さんのイメージで認識していたんですが…それは後の話なんですね。 当時はお笑い養成所のようなシステムはなく、師匠に付いて芸を学ぶ“子弟制度”。 最初についた師匠に色んな相方を紹介されたそうで(何か近しい近所…
ダウンタウンが若手時代にある審査員から苦言を呈されて、松本人志がキレたことはあまりにも有名な話である。その審査員の名を藤本義一と言う。おそらく藤本義一を知っている人は皆無である。関西人でも、若い世代の人間はほとんど知らないだろう。私はお笑いや芸能情報が好きだから知っていた。藤本義一さんは、元々映画の世界の方であった。しかし藤本義一さんは映画の世界では成功せずに、構成作家に転身してようやく売れ始め、「11PM」の司会をやるまでになった。藤本義一さんのように映画の世界でぱっとせずに、方向転換して、大成したのは、山田太一や倉本聰がいる。彼らの脚本は、悪い言い方をすれば、映画の世界では通用しない部分が…
社会全体のイメージ化 〜政治も、社会的発言も、イメージ化されていく… 経済システムと消費社会 TVと政治家 政治家自らの広告/物語化戦略=イメージ化 気になったら読んで欲しい本 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』 島田紳助『いつも心に紳助を』 大塚英志『戦後民主主義のリババリデーション』 ボードリヤール『消費社会の神話と構造』『象徴交換と死』 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2019/11/08/070058 社会全体のイメージ化 〜政治も、社会的発言も、イメージ化されていく… 戦争の話ばかり書いていて疲れました。ち…