猿沢池から見た興福寺五重塔、明治5年、横山松三郎撮影 文化庁文化遺産オンライン 明治維新の神仏分離と廃仏毀釈の事例としてつねに取り上げられるのが、興福寺に起きた出来事である。藤原氏の氏寺として創建され氏の繁栄と軌を一つにして千年以上にわたり隆盛をきわめた寺院、江戸時代には勢力が衰えたとはいえ、2万1千石の寺領を所有し数十の子院、末寺をかかえた巨刹が一夜にして廃寺となったのである。 慶応4年(1868)3月に布達された神仏分離令は、神社に奉仕する別当社僧は復飾(還俗)することと神社にある仏像や仏具は取り除くことを命じて、神仏混淆した神社から仏教的要素を一掃することであった。興福寺は寺院であるのに…