(2023年10月18日投稿) 田中家の人々は3日、横浜を出発。東海道本線の線路の上を歩きながら、東京を目指しています。 三郎氏の日記より。 「横浜駅もめちゃめちゃになり、駅前の惨状は目も当てられず、電線は往来に落ち、人々の通行を苦しめていた。又、半焼となった電車の壁には、何某無事何処に避難せりとか、簡単な文句が白墨で書かれてあった。高島町の大通りは人の波を打ち、老人、子どもの往来には甚だ危険であった。月見橋は落ち、橋下の水は真っ黒にて一種怖ろしき感を起こさした。されば鉄橋を一列になり両親を助けつつ渡ったのであった。高島駅上の大時計は実にこの記念すべき大正の御代の大地震を物語るものの如く静かに…