太平洋戦争時に国民の不満を抑圧するために生まれた戦時標語の一つ。1942年(昭和17年)に大政翼賛会と複数の新聞社が「国民決意の標語」を募集し入選した十篇の入選作。
採用したのは当時国策広告に携わっていた花森安治。
当時、作者は東京の十歳の少女が作ったと喧伝されたが、戦後、この少女の父親が作って娘の名前で応募したものと判明した。
標語の意味は『お国が臣民に窮乏を強いても戦争に勝つまではわがままは言いません、買い物を我慢し、貯金し、物資を供出し、文句を言わずお国の戦争に協力し服従します』の意。
この標語には、勝てば欲しがっても良いのだという大人の悲しい願望、勝利に導くお国は臣民に対して物品の供出をほしがっても良い、などの解釈がある。
大日本帝国が戦争に負け滅亡して以降は、根拠なき勝利の信奉や公権力に対する盲目的奉仕に対する皮肉として引用される機会が多い。
1942年、この標語をもとに「欲しがりません勝つまでは」という戦時歌謡(詞:山上武夫、作曲:海沼實)が作られ、発表されるや大ヒットとなり、この標語は長く記憶されるようになった。