神林長平の小説。
死の定義に情報理論を盛り込んだ論理展開により、話が進んでいく、
この世には二種類の人間がいる。 死んでいることに気づいている者と、そうでない人間の、二種類。 自分の死に気づいている者は、当然ながら死んでいる。 死んでいることがわかっていない人間は 生を信じるがゆえに、やがて死を受け入れざるを得ない。 ようするにこの世は死者でいっぱいだ。 『死して咲く花、実のある夢』早川書房
今週のお題「最近洗ったもの」 今日、盆回向でのため菩提寺へ行き、墓を洗ったw
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/08(金) 19:03:16.27 id:NMQZ542Z0 別にうらめしくはない 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/08(金) 19:04:27.75 id:e1iOxvi00 幽霊ってア○ルオ○ニーするの? 3 :1 :2007/06/08(金) 19:06:07.29 id:NMQZ542Z0 >>2 とりあえず、俺はまだやってない 他の先輩諸氏がどうかは知らんが 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/08(金) 19:07:04.81 I…
思い出とも呼べないような断片的な記憶がある。小学三生生のとき、通学路沿いの用水路の淀みをじっと眺めていたことを今でも憶えている。こういった、自分でもどうして憶えているのか分からないようなワンシーンを、誰だって一つは持っているはずだ。君にだってあるだろ。 現在の自分を説明するための物語(人生と呼ばれる)を成立させるため、無意識のうちに修正されつづける他の記憶に比べて、こういう記憶の断片は修正を免れているように見える。それはそうだ。十何年前の用水路の淀みを、どうやって今の自分に結びつけるんだ? そのため、自分の記憶(≒同一性)に自信が持てなくなったとき、人はこういったものを手がかりにして、何とか自…