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母性

(一般)
ぼせい

女性がもっているとされている、母親としての本能や性質。
また、母親として子を生み育てる機能。
基本的に母子関係の生物学的自然に基くとされる。
ユング派の心理学者河合隼雄によると包含する機能、
愛情の機能として解されている。
フロイト派の心理学者古沢平作によると日本人の倫理の
アーキタイプとなっているのは、母性であるといわれるが、
(阿闍世コンプレックス)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0951.html
これについては批判がある。



ちなみに、母性というものが本能的なものでは何らありえず、むしろ近代(十八世紀後半以降)に子供が労働力としてカウントされる必要が生じ、もしくはルソーの提唱する「平等と幸福という概念」に基づいて子供が美化され(それまでは「産み捨て」られることすら日常茶飯事だったらしい)、つまりは端的に子供が「社会的に」必要となったせいで母性という概念が過去に遡行する形で捏造されたと主張する書物として、E・バダンテールによる著作が挙げられ得る。バダンテールは母親が当然子供に対して抱かれてもおかしくない個人的な愛情を「母性愛」と呼び、上述した社会的/事後的に捏造された「母性」との間に相違があることを厳しく指摘している。極論ではあるが、ひとつの独創的な視点ではある。(この段落のみ、id:iduru記)


母性という神話 (ちくま学芸文庫)

母性という神話 (ちくま学芸文庫)


しかし、上のような主張はやや極論に近く、フェミニズムの文脈を離れると、批判も多い。現代の人類学と生物学の知識からこの問題を見る学者の場合(進化心理学的アプローチ)、事実としての母性、すなわちメス親のほうが平均して子供に対して深い感情的結びつきをとりやすく、またオスに比べて子供への投資が大きいということは普遍的・通文化的に見られることであり、メス親の方が生物学的な事実の時点ですでにより大きい子育てへの最低限の投資を強いられていることや、平均して生む子供の数がオスよりかなり少ないという生物学的な構造があることから、事実としての母性は人間としての生物学的な基盤に根ざしているとされている*1。しかし、一方で社会的に上に挙げた性質・傾向を操作して出来上がった社会プロパガンダとしての(完全な、理想化された)母性が(これもまた多くの社会で)別に存在することも認められており、これは生物学的基礎をそのまま反映したものではなく、疑いなくそれを基盤としながらも、それぞれの社会ごとに(必ずしも言説だけでなく、環境や状況への適応によって構築された部分もあるが)構築された−それも多くの場合オス社会の利益のために構築された−部分を色濃く持っているとされる。また、生物学的にメスがオスより自分の子供により多く投資する傾向があることは、メスがオスよりも子にやさしい事とはまったく別であり、現実に『子供への投資が少なく、いい加減にやさしい(甘い)お父さんと、子供への投資が多く、きっちり厳しいお母さん』という家庭は、『子供への投資が少なく、いい加減に厳しいお父さんと、子供への投資が多く、きっちりやさしいお母さん』という家庭同様少なくないし、『子供になんら投資しないお父さんと、子供の世話を焼く優しく厳しいお母さん』という家庭も少なくない。なぜならば子への投資とは庇護や給仕といった甘さだけでなく訓練といった厳しさも含むからである。

*1:同時にオスにも近縁種のオスよりは子への強い投資や感情的結びつきがあるとされる

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