安元《あんげん》三年三月五日、 藤原師長《もろなが》は太政大臣、 その後を重盛が襲って内大臣に任命された。 当然内大臣になるべき、 大納言 定房《さだふさ》を越えての栄進であった。 ところで話は二年程さかのぼって安元元年 加賀守《かがのかみ》に任ぜられた師高《もろたか》という男があった。 彼は例の西光の息子である。 この男、人を人とも思わぬ暴君で、 加賀国一円に暴政の限りをつくし、 悪評ふんぷんたるものがあった。 ところでこの弟の師経《もろつね》が、 又兄貴に輪をかけたような乱暴者で、 加賀の代官に任ぜられた時、 鵜川という山寺で、 僧侶がお湯を沸かして浴びていたのをみつけると、 あっというま…