・889年(唐暦龍紀1.1.癸巳朔) 唐の昭宗,李敏は「龍紀」と改元した。(『資治通鑑』) ・889年(和暦寛平1.5.12) 葛原親王の孫,高望王は上総介に任じられたという。(『神皇正統録』) 〔参考〕長門本『平家物語』によれば、高望王の父,高見王は生涯無位無官であったという。 ※情報が少ないため、高見王の実在を疑う見解もあるが、子孫には無位無官の先祖を捏造する必要性がないほか、『平家物語』は出世譚でもないため、若くして死去した人物とも推測される(桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』)。 ※皇親としての威光があるために、現地の反乱を鎮圧する期待を受けて任じられたとも考えられる(関幸彦『武士の…