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永倉新八

(一般)
ながくらしんぱち

新選組二番隊隊長。天保10年(1839年)9月12日〜大正4年(1915年)1月5日。
武蔵国江戸(東京都)出身、享年76歳。本名は長倉。
松前藩を脱藩、近藤勇が江戸で開いていた道場の試衛館に出入りし、新選組結成前から近藤勇、土方歳三らと行動を共にし、晩年は北海道小樽市で過ごした。
神道無念流・岡田十松に剣を学び、18歳で免許皆伝を受け、江戸府内の道場を回って手合わせを挑んでいるうちに、近藤勇と出会うことになる。
新選組在籍中にはしばしば近藤と衝突があり、江戸帰還後は新選組と別れて戦い、明治の世まで生き残った。
浪士隊の成立から、鳥羽伏見の戦いに負けて逃れるまでの五年余りを永倉が記録した「報國記事」という冊子が、最近発見された。

報國記事

新選組が勤皇の志士を襲った池田屋事件で、局長の近藤勇が叫んだ言葉や修羅場の情景など、その場にいた者にしかわからない事実が細かく記された貴重な資料。
池田屋事件では、最初に踏み込んだ隊士を近藤勇、沖田総司、藤堂平助、永倉の四人と記述。近藤は大声で「手向イイタスニヲイテハ用捨無(ようしゃなく)切捨ル」と言い放ったとしている。
戦闘についても、「壱人切テカケル者是アリ、沖田総司是ヲ切ル」「表口ヘ逃ル者永倉追カケ、是ハ袈裟ガケニ一刀デヲサマル」など記述。
また「池田屋の主人を縛らなかったため、せっかく捕らえた志士を主人が逃がしてしまった」との内容など、知られていなかった新事実もある。

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