今回は池上左衛門太夫康光の子息で、兄・右衛門太夫宗仲、弟・兵衛志宗長の池上兄弟の話です。池上家の由来は記録によると摂政・藤原忠平の三男・忠方が平将門の乱平定の為に京より下向し武蔵国千束池の上に住したことから池上の名を氏にしたことに始まるとされてますので、池上家は藤原一族で鎌倉時代の当時は相当の家柄であったと思われます。宗仲が叔父の日昭から折伏を受け大聖人に帰依したのは立宗宣言から3年後の康元元年(1256)で、その後に宗長も兄の折伏により大聖人に帰依しています。二人の父である康光は極楽寺良観の熱心な信徒だったので兄弟の入信には当初から反対したと思われまずが兄弟は大聖人への信仰をやめることなく却…