美術史家。1943年東京都生まれ。 1970年東京大学大学院博士課程退学(美術史専攻)。東京国立文化財研究所文部技官、名古屋大学文学部助教授、東京大学文学部教授を経て、同大学大学院人文社会系研究科教授。2006年定年退職、名誉教授。研究分野は、日本近世美術史。 美術雑誌『国華』の編集委員もつとめる。
京都の町人。慶長十五年(1610)、日本使節の長としてヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に渡航した。朱屋隆清と同一人物ともされる。 ヌエバ・エスパーニャへの渡航 サン・フランシスコ号での帰国 朱屋ノ隆清 ヌエバ・エスパーニャ渡航の背景 参考文献 ヌエバ・エスパーニャへの渡航 慶長十四年(1609)九月、マニラからヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に向かっていたスペインのフィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベーロが暴風雨に遭って日本に漂着する。翌慶長十五年(1610)六月、ビベーロたちは徳川家康から提供されたガレオン船《サン・ブエナベントゥーラ号》に乗って相模国浦賀を出航。同年10月27日にカ…
本阿弥光悦が製作した焼物。茶会記などの記録には「光悦焼」あるいは「光悦茶碗」としてみえる。光悦は刀剣の磨礦(とぎ)・浄拭(ぬぐい)・目利(めきき)を業とした本阿弥家の別家の出身。名筆家としても知られるが、陶芸においても優れた才をみせたという。光悦の陶芸の主流は楽焼の茶碗製作であり、京都の樂家の二代常慶と三代道入らの助けをもって行われた。 光悦の茶の湯 鷹峯での作陶 茶会記にみる光悦焼 光悦茶碗の名品 参考文献 光悦の茶の湯 本阿弥光悦と親交のあった佐野紹益が著した随筆『にぎはひ草』によれば、光悦は台子の茶の湯を織田有楽斎と古田織部より伝授されたという。 実際に光悦は古田織部と交流があった。年未…
日曜日。夜10時「おしゃれクリップ」[TVer]に紅しょうが。夜10時〜WOWOWシネマで映画『エゴイスト』(鈴木亮平、宮沢氷魚)初放送。深夜1:25「おかべろ」(TVer無し)に滝沢カレン。 朝7:00-7:30 フジテレビ『ボクらの時代』[TVer] 【出演】令和ロマン(髙比良くるま・松井ケムリ)×ヤーレンズ(楢原真樹・出井隼之介) 朝7:00-7:30 TBS『健康カプセル!ゲンキの時間[解][字]【放っておくと一大事!ホントは怖い“鼻づまり”】』[TVer] “約440万人が日頃から「鼻づまり」に悩まされているといいます。 鼻の近くには目や脳があるので、放置していると視力低下・頭重感・…
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の代表的作品から選りすぐりの23点を原寸で鑑賞。室町末期から江戸末期までの日本近世絵画のなかで独特のデザイン性と高度な技巧で輝きを放っていた琳派の世界に深く入り込むことができる。展覧会に行ってもなかなか確認できない絵師の技術がよく見て取れて、変色や落剥がない制作当時であればさらに驚くべきものであったであろうと嘆息する。まさに日本ならではの絵の姿。解説は河野元昭のものも山本毅のものも絶賛絶賛また絶賛でちょっと息継ぎが欲しくなるくらいだが、解説を離れて何度か絵そのものを見返していると、執筆者の熱を持ってしまうのもなんとなく分かってくる。原寸で見てみるとサイズ的…
5月21日、日曜日。昨年、世田谷から丸の内に移転したはずの静嘉堂文庫美術館ですが、5月20日から28日に世田谷の展示施設を再稼働して展覧会をやっています。 その名も「饒舌館長ベスト展」。 なんでも静嘉堂文庫美術館の河野元昭館長が80歳の傘寿、かつ館長就任8年になるのを記念して河野館長お気に入りの作品を18点(+副館長セレクトの江戸時代の工芸作品が友情出演で5点の計23点)、(休館日を除いて)8日間だけ展示するというもので、企画を聞いてるだけで楽しくなる展覧会です。これを行かない手はないということで、二子玉川からバスに乗ってやってきました世田谷・岡本の静嘉堂文庫へ。 緑のアプローチが懐かしくも心…
明治新政府の樹立直後に駐日英国公使の一行が襲撃されたいわゆる「パークス襲撃事件」で、公使を守った土佐藩士、後藤象二郎に感謝の印としてビクトリア女王から贈られたサーベルが東京都内で見つかった。豪華な装飾が施された「鞘」やベルトなどの付属品とともに見つかる。「パークス襲撃事件」は明治新政府の樹立直後の1868年、天皇に謁見するため京都御所に向かっていた駐日英国公使、ハリー・パークスの一行が攘夷派の志士に襲われたもので、後藤らの活躍により、パークスに怪我はなかった。凄い発見だ。 静嘉堂文庫 河野文庫長「世界各国の多くの人に見てほしい」 静嘉堂文庫の河野元昭文庫長はサーベルの発見について、「こんなに貴…