流行歌のレコードであるとともに、競作レコードの第一号である。
昭和初期の伊豆大島は、観光とは無縁の離島であった。島の南東部にある波浮港村(はぶみなとむら)は、島の中心部の新島村(1940年に新島村が元村と改称するまで、大島にあるのが新島村で、新島にあるのは新島本村だった)からも三原山を挟んで反対側にあるわびしい漁村であった。
1928年(S3)に、歌謡曲として大ヒットした曲。野口雨情の詩は、1923年(T.12)の関東大震災直前の6月に、雑誌「婦人世界」に発表され、その詩に中山晋平が曲をつけて完成した。
当時は東京からの船便もなく、雨情は現地には全く行かず、地図さえも確かめずに詩を書いた。このため、歌詞が必ずしも現地の風景に忠実でない部分がある。しかし、離れ島のわびしさや、はるばる来た旅人に出船の時は泣いて別れを惜しむ島の娘の素朴な心情が多くの日本人の共感を呼び、どちらのレコードも大ヒットになった。
音域が短13度あり、カラオケで歌うにはやや難しい。