1948年東京生まれ。1970年早稲田大学第一文学部中退。 父親は元総評事務局長の高野実。評論家の高野孟は兄にあたる。 1970年代より評論家。早稲田在学中の1971年に「われらの内なる差別」を発表し、脚光をあびる。 80年代後半より評論活動から遠ざかり、気功の指導者となる。またNHK「きょうの料理」に出演するなど料理研究家としての顔も持つ。
自分へのメモも兼ねて いろいろな文章をご紹介させていただいておりますが、 その中でも 津村喬さんの記事で 読んでほしいと思うものを まとめてみました。 お時間のある時にぜひ。 気功ってこういうものなのだ… というヒントになると思います! 「引き返せるボケ」 「気功法(功法)基本技法」 「樹木療法」 「気場・聖空間」 「イルカ・海の気功師たち」 「気で生きている」 「気功法実践入門法」 「自然の一部、地球感覚」 「風邪と仲良くする」 「私らしさ・・・」 「気功の話(導引)」 「伝統的呼吸法・亀の呼吸」 「呼吸について・・自然に任せる」 「恬淡虚無」 「気功的ライフスタイル」 「気功レッスン!内に…
大袈裟にやるつもりはないのだが、『全共闘晩期 川口大三郎事件からSEALDs以後』までの到達点を私なりに見定めておかなければ先へ進めないので、今、少し遠回りをしている。 それでまず、笠井潔『増補新版 テロルの現象学 観念批判論序説』(旧版1984年、文庫版1993年、新版2013年、増補新版2022年)を読んでみた。私はこういう「業界」に暗くてこの人のは読んだことはないが、あちこちに名前が出てくる大御所のようだからやむを得ない。版も重ねていて一定の読者がいるようだ。 で申し訳ないが、前回、ゴミであると書いたのだ。 私は仕事上、社会科学方面のものを、外国語を含めて多く読み書きしてきたので、こうし…
この本に同じく再掲されている津村の「粱政明の死」は当時読んだ。ところが、この「早稲田は誰に住みよいか」は、迂闊な事に今回初めて読んだ。ちょうど51年前の文章だが、文字どおり昨日の事のように読める。「ただの正義派」の一人だった私は、津村のこの言説の全てが手に取るようにそのまま理解できるし、内容的に何の違和感も現在においてもない。この本の執筆者紹介において津村が2020年に没していたことは初めて知った。いつでも会えると思っていたので、しまったと思った。私より一歳上であるので、まだちょっと早い。ご冥福を祈りたい。 初めのあたりで『現代の眼』に掲載された投稿に言及しているが、それは以下の近藤真治氏のも…
生前ご縁のあった 津村喬さん。 私が津村さんの文章を紹介させてほしいと ご連絡すると いつも 「どうぞどうぞいつでも使って広めてください」 といってくださったので、 たまに ご紹介させていただいています。 今回はこれ。 「気功法(功法)」 気功にはとてもたくさんのやりかたがあります。 ひとまとまりの、形になっている作品としての気功法を「功法」といいます。 気功にはとてもたくさんの功法があります。 音楽の曲目のようなものと思ってくれていいのです。 バッハのチェンバロ組曲もあればブラームスの交響曲もありショパンのピアノの小品もあります。 古い楽譜が残っているものもあれば、誰が作ったかわからないが曲…