映画の記憶と記憶の映画『キューポラのある街』1962年 (Gyao)この映画には私の記憶する時代があり,私の知らなかった歴史があります.**50年ほど前,高校生の映研が視聴覚室で300円か200円でやっていました.すでに,吉永小百合は国民的大スターであり,私の少し上の人たちには理想的な女性.私の周りには小百合ファン(サユリスト?)はいませんでした.感覚的に映画は前世代のひとたちのもの私たちは音楽の方に傾いていたからでしょう.※古い映画はテレビで週に4,5本みることができたので,70年代で,平凡な日本人は1000~2000本の映画をみたともいえる,日本映画産業の衰退初期. 『キューポラのある街』…