嵯峨野広沢池畔 言うまでもなく、平安時代の天皇は一夫多妻制である。特にその初期には后の数は非常に多かったようだ。『源氏物語』が書かれた一条天皇の時代には定子さまと彰子さまという二人の后がいた。定子さまには、清少納言(枕草子の作者)、そして彰子さまには紫式部(源氏物語の作者)が女房として天皇をひきつけるサロンをつくっていた、と思われる。そのアイテムのひとつが文学作品として今に伝わっていると言えばいいのかもしれない。一条天皇(20歳)が心から愛する定子さま23歳、そこに入内してきた、時の最高権力者藤原道長の娘彰子はまだ12歳だった。だが定子の実家は没落。天皇が円滑に政治を執り行うには貴族たちの後ろ…