天保4年(1833)は前年に引き続き、全国的に大凶作の年で、播州地方でも田植え後の雨天続き、日照不足、さらには虫害などから、平年の半作以下の田も少なくなかったそうです。加古川筋の商人たちが買い集めて高砂へ送ったために米価は高騰し、日々の食事にも事欠く貧しい農民層の間には、これら商人や銀貸(金貸し)などへの憎悪の感情が高まっていきました。同年9月12日の夕方、その二日前に加東郡の新町、社村付近のお堂や神社などに貼られていた「米を買い占め、川下げをしている者があり、稲荷野(1)で相談したいので参集願いたい」という旨の張り紙に呼応して、あちこちから人々が集まります。集まった者たちの中からは、米商人な…