・760年(唐暦上元1.閏4.己卯) 唐の粛宗,李亨は「上元」と改元した。(『旧唐書』粛宗紀) ・760年(和暦天平宝字4.6.7) 光明皇太后は崩御した。(『続日本紀』) ※光明皇太后の崩御により、母親に天皇大権の行使を抑えられていた孝謙太上天皇は天皇家の家長的立場として、淳仁天皇を傍流と見なして対立を深めた。そのため天皇権力は分裂することとなる(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 ・760年(和暦天平宝字4.9.27) 経師,秦豊穂、安宿大広、高市老人、刑部真綱、能登忍人、石田嶋足ら造東大寺司写経所に務める写経生は、休暇が終わっても戻ってこなかったため、召喚命令が下された。(「正倉院文書…