「渡辺晋物語」によると、渡辺プロダクションの1980年度の申告所得は創業26年目にして初のマイナスに落ち込んだ。この年から既に社内改革が断行されてはいたが、改革はドラスティックには出来なかったという。 グループ会社のアポロン音楽工業から社長室長付で社内改革を推進した林秀樹氏によると、収支計画書の徹底と、なかなか目の出ないタレント、ベテランタレントの扱いで、これ以上の投資をするのはむだじゃないかとの提言もしたという。 このような時期、真理は丁度、再デビューの真っ只中にいた。真理のために新たに設立された傘下の音楽事務所「渡辺ワークショップ」に1979年5月1日に移籍し、真理は再デビューを試みる。し…