高句麗の後継となった「渤海国」との交易ルートを探る。歴史を学びつつ、古代日本における日本海側、特に敦賀の可能性を探る。■白村江の戦い百済遺民の鬼室福信(きしつふくしん、扶余福信とも)から第37代斉明天皇(※)は救援要請を受ける。扶余豊璋、上毛野稚子、阿倍比羅夫らは白村江の戦いにて百済復興を目指す。日本と百済遺民、耽羅(たんら、現在の済州島)の軍は663年、白村江(現在の錦江河口付近)において唐・新羅の連合軍と戦う。しかし、唐・新羅の前に敗れることとなった。※第35代皇極天皇は一度を退位していたが、重祚、再び天皇となり斉明天皇となった ■高句麗の滅亡668年、高句麗は唐・新羅連合軍に攻撃され滅亡…