
概要 【1】関東軍との相互依存 今回の「その時」は「1945年8月18日」。この日、満洲国は崩壊を迎えた。満洲国は、関東軍が清朝最後の皇帝・宣統帝溥儀を担ぎ出し、1932年に建国されたものであった。溥儀と関東軍は互いに互いを利用し合う関係であり、溥儀は清朝再興のために関東軍を利用し、関東軍は満洲支配のために溥儀を利用したのであった。だが溥儀に実質的な権力は無く、彼にはそれが不満であった。彼は満洲国が帝国化した際にも、清朝皇帝の龍袍を着ることに拘ったが、関東軍は元帥服を着るよう強要した。結局のところ、公的行事の他に清朝伝統儀式を執り行い、そこでは龍袍を着てもいいことになった。 【2】ヒロヒトと溥…

概要 1931年9月18日に満洲事変が起こったが、番組的に「今日のその時」はその日ではない。その4日後の9.22である。これは満洲事変を若槻内閣が追認した日であった。これにより満洲事変は正当化されることになり、満洲国建国や日中戦争に繋がっていった。満洲事変は鉄道爆破の謀略であるが、鉄道爆破はこれが初めてではなかった。1928年に北伐軍に敗れ北京から奉天に逃げ帰る張作霖を河本大作が爆殺していたのである。この事件はなぁなぁで処理されてしまったため、関東軍の間には謀略をやっても特に問題はないという雰囲気が醸成されてしまったのであった(河本大作は退役したし田中義一も総辞職することになったが)。 こうし…

雑感 8月15日以降も戦い続けたシリーズ。満洲国西方阿爾山において国境警備に当たっていた陸軍第107師団。阿爾山にほど近い五叉溝に陣地を築き、そこでソ連軍の防衛を予定していた。陣地が6割ほど完成していたが、戦線の再編成を告げられ撤退を余儀なくされる。ソ連侵攻に当たり、関東軍は防衛線を縮小したのだ。関東軍は精強を誇ったが、精鋭部隊は南方へ引き抜かれており名ばかりの数合わせになっていたのだ。大連・新京・図們を結ぶラインが防衛線と見なされ107師団も新京へ移動せねばならなくなる。だがソ連軍に先回りされており先遣隊は壊滅、本隊も西口において挟み撃ちにあった。 関東軍山田乙三総司令官は玉音放送後にようや…