一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。 その中でも宰相中将は権中納言になった。 四の君が生んだ今年十二になる姫君を 早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。 以前二条の院につれられて来て高砂《たかさご》を歌った子も 元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。 腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを 源氏はうらやましく思っていた。 太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、 御所へも東宮へも殿上童《てんじょうわらわ》として 出入りしているのである。 源氏の葵《あおい》夫人の死んだことを、 父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。 しかしすべてが昔の…