画家、鑑定家(1903-1980)。
贋作作家として、昭和中期の美術界を震撼させた人物であり、戦前にパリで多くの絵画の斡旋をしていたが、その裏で300点以上もの贋作を生み出し、多くの美術館に今も滝川の「贋作」が眠っている。
最も有名なものでは、国立西洋博物館に所蔵されているルノワールの「少女」の贋作。西洋博物館宛てにコレクターから寄贈されたものだったが、贋作という指摘を受け、それ以降は公開されていない。
昭和43(1968)年、私は山本弘と飯田市の銀座通りを散歩していた。山本弘は画家でアルコール中毒だった。酒を飲まないと外出しなかったから、この時も酔っていたのだろう。妻の愛子さんも一緒だったかもしれない。銀座通りには常盤劇場という映画館があった。そこに上映中の映画のポスターが貼られていた。内藤洋子主演の『あこがれ』という映画で、髪の長い内藤洋子がポスター一杯に大きく取り上げられていた印象がある。監督は恩地日出夫だった。 そのポスターを見て、山本弘がこの監督とは幼馴染みなんだと言った。まさか、と思ったが、恩地監督は子供の頃飯田市へ疎開していて、その時一緒に暮らしたということだった。僕が予科練へ行…
ギャラリーフェイクに登場する美術品に関するリスト化記事の第三弾。 今回は11巻から15巻。ギャラリーフェイク(11) (ビッグコミックス)作者:細野不二彦小学館Amazon1~5巻はこちら calciummm.hatenablog.com 5~10巻はこちら calciummm.hatenablog.com
坂口安吾『堕落論』(新潮文庫)を読む。56~57年ぶりの再読。そんなことを覚えているのは、山本弘に初めて会った時、『堕落論』を読めと言われたからだ。その時私は19歳で、『堕落論』はすでに読んでいた。『堕落論』は戦後すぐの昭和21年に坂口安吾が出版した本で、戦争未亡人も新しい恋をするし、生き残った兵隊は闇屋になると書かれている。当時それは大胆な発言だったことだろう。 山本弘は終戦時は15歳、その頃予科練に入隊すると言って田舎を発っている。しかし、没後厚生労働省に問い合わせた結果では予科練に入隊した記録がなかった。予科練も試験があったというから合格しなかったのかもしれない。 山本は終戦翌年の昭和2…
山本弘年譜 (2023.4.9作成) これは昨年9月から開かれた山本弘展(東御市立梅野記念絵画館)の図録のために私が作成した年譜である。 1930年(昭和5年)0歳 6月15日 長野県下伊那郡神稲村(現豊丘村)供野に山本里二と千春の次男として生まれる。兄に2歳上の昭三、妹にみち子、久美子、弟に武夫がいる。 1935年(昭和10年) 5歳 家族とともに長野県飯田町へ転居。 1937年(昭和12年) 7歳 飯田市立追手町小学校浜井場部入学(4月1日、飯田市制施行)。 1943年(昭和18年) 13歳 飯田市立飯田小学校高等科(現東中学)入学。 1945年(昭和20年) 15歳 飯田市立飯田小学校高…