見返りを当てにしてないふりをして無償の善行のように見せたがると、これは無知による偽善になるとおもいます。(ただする)は大唯作心が働く解脱者にしかできないからです。 いいかげんな世間では、母親が我が子に注ぐ愛情は無償の行為だといわれてますが、違います。 未解脱者の善行を、大唯作心の行為のようにおもってしまうのは無明が作用しているからで、正しい結果をはっきり意識すれば智相応になり、より清浄な善行にレベルアップできるとおもいます。 「人のため」じゃなく「自心を清浄にするため」なら、正しく因果を自覚してることなり、智慧の働いたレベルの高い善行為になる。 もちろん偽善じゃない。 因果を自覚しないでする善…