4283号 引き続き「霊験亀山鉾」。作者である、四世鶴屋南北の文化文政期の歌舞伎劇場について書いていた。 経営が苦しかったという話。原因の一つは、看板役者の給金の高騰。もう一つは、劇場の火事の頻発である。 火事になると、むろん建て直さなければならない。これまた、金がかかる。江戸三座は当時、もちろん三つあったのだが、実際に経営難でよく潰れているのである。(潰れると、控え櫓というサブの芝居小屋が設定されており、代わりを務める仕組みになっていた。) 客を集める、大入りの芝居を打つことは、むろん今でも経営側には大きな目標だと思うが、当時、化政期にはとにかく、劇場存亡に関わる至上命題であったのである。 …