〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info もうひとつ写っている列車の「わかしお」は、この当時は東京から総武本線を経由し、千葉から外房線経由で安房鴨川まで運転される列車でした。 「わかしお」の場合、「しおさい」とは異なりそのルーツは臨時快速として設定された列車でした。夏季の多客期のみに運転される「黒潮」で、この列車は夏季の、それも休日だけ運転される列車でした。 ところが、国鉄は1953年には気動車モデル線区として、房総東線(外房線)と房総西線(内房線)を指定し、当時はまだ新鋭だった気動車をいっぺんに66両も配置したのでした。この配置を受けて、1954年の夏には「…