戦後から、現在に至る迄の詩を、一般に現代詩と呼んでいる。 詩の愛好者が、現代の日本で、詩が読めると言う事は、大変な僥倖だと思われる。 現代詩は、日本の至宝である。 日本の伝統的な詩である短歌や俳句に定型が有るのに対して、現代詩には、全くそれが無く、完全に自由である所に特徴が有る。 それは、20世紀初頭のヨーロッパの散文詩を手本としている所に起因しているものと思われる。 その当時のヨーロッパでも、定型詩である韻文詩を書く詩人は居なくなっていた。
『“善”か“悪”か』 「優しいね」と言われると わたしの中で切り離された 優しくないわたしが悲鳴をあげた 「かわいいね」と言われると わたしの中で切り離された かわいくないわたしが虚空を見つめた 「善い子だね」と言われると わたしの中で切り離された いじ悪いわたしが暗闇で膝を抱えた 「積極的だよね」と言われると わたしの中で切り離された いつも不安なわたしが押し潰された 「笑顔がすてき」と言われると わたしの中で切り離された 笑いたくないわたしが作り笑いを始めた そうして選ばれない方のわたしが消えて 本当のわたしが半分になりました “善”か“悪”か “美”か“醜”か “敵”か“味方”か “白”…
『清々しい』 よく晴れた朝に小鳥がさえずることを 人は“清々しい”と言う よく晴れた朝に小鳥がさえずろうとも “清々しい”と思わないことを 人はきっと“忙しい”と言う いつもいい気分でいたいけど そうできないこともあるよね それでも小鳥は鳴いて それでも人は頑張る
軽い朝 いつもより眠れた 身体がゆったりと よくのびてい 今日はこのまま 眠っているように 過ごそうか 軽く あそこまで行ける そんな気がする ああ、雪が 降っていたのか それで こんなに 軽いのか ***** 記憶とは、頭のどこかに記録されているものではなく、いつもずっと考え続けているものだと思うことがあります。 考える部分が小さいだけで、いつもそれを考えているので、覚えている。 だから、それを大きくすることで、思い出すことができるということで。 忘れてしまうというのは、いつもずっと考え続けているということをしなくなったこと。 それを、もう考えることをやめてしまったということ。 そうすると、…
『雨を知らない月』 ぼくたちで見上げた空に 浮かぶ月と 流れる雲と 夜風に乗って冷めた温度が 眠たいぼくと眠れない君をとり囲む 雨が降ると悲しくなるから いつも笑っていてほしい なんて 雨を知らない月に どうしたら伝わるのだろう 同じ風ばかりの単調な夜に 戸惑う僕は戸惑うばかりで 揺れる瞳から溢れないように 揺らさないように抱きしめた 朝が来たなら口を結んで 大丈夫な人として生きてゆく だからそれまで もう少しこのまま 雨を知らない月と 涙を知りたくない君と
『とある物語りのはじまり』 やさしい太陽と、 やさしい音と、 やさしいごはんと、 やさしい水と、 やさしい道と、 やさしい風と、 やさしい緑と、 やさしい地球と、 やさしい海と、 やさしい空気と、 やさしい言葉と、 やさしい誰かと、 やさしいあなたと。
灯 雪、の夢をみた 少年は膝を抱えて 窓際にうずくまっていた そこが一番暗いことを知っていたから少年の祖母は ストーブの上で 干し芋を焙っていた 猫は丸くなって寝ていた外は吹雪いている 父も母もまだ帰らない * 目覚めると、まだ雨が降っていた * ああ、あの家に、灯がともる頃だ ***** 自分の暮らしは、長く長く続く旅のようなものだと思うことがあります。 旅立ったところに、もう戻ることのない。 自分が生まれ落ちたところから、南に進んだ距離、北に進んだ距離、東に進んだ距離、西に進んだ距離、それぞれ、かなりの値になると思いますが、それらを全部ベクトルで足し合わせると、結局は、生まれ落ちた場所から…
『じゃあね』 差し出された愛は当然。 差し出す愛も当然。 愛されたければ愛さねばならならい。 愛されれば愛さねばならない。 こんなに色々してあげた。 だから、次は君の番だ。 これまでこんなに愛してあげた。 だから、次は君の番だ。 愛したのだから愛されなければ。 そんな交換条件で成り立つ関係。 それを“愛”だなんて、大げさですよ。 お返しする愛なんてもうありませんよ。 過去に感じた愛は、 過去の私が味わい尽くしました。 今の私には、今の愛を。 無ければそれでいいの。 じゃあね。
近しい人が創作活動を再開したという知らせを聞いた。そのことを本当に喜ばしく思うと共に、自分自身の創作はこれでいいのかとも思う。 また先日、とある詩人の投稿履歴のようなエッセイを読んだことで、もう一度あの投稿の日々に戻りたいという気持ちに駆られてしまった。 そうした外的な要因にあまり左右されずに、自分自身の創作物と向き合いたいと思ってきた。投稿生活から離れてしばらく経ち、この間に海をモティーフとした詩ばかりだった傾向から、だんだんとそこから離れて、さまざまなモティーフを用いるようになった。 そのことを単に寿ぐことはできない。血肉と化した言葉でなければ詩にはなり得ないという感覚は、吉増剛造『詩とは…
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『まぁいいか』 今日、 僕は「まぁいいか。」と受け流した。 あの瞬間、 確かに別に拘る必要はないと、 他愛もないことだと感じたのに、 なぜかいま、 僕の中の赤血球のひとつひとつが、 着信を受けたかのように震えている。 だからといって僕には、 今さらどうにかする力なんてないんだ。 あの日、 「まぁいいか。」 と受け流してしまった自分を、 「どうにもならない。」 と何もしなかった自分を、 僕はどうやって、 許せばよいというのか。 誰か知っている人は教えてください。
(1)ふるさとと西脇順三郎 西脇順三郎は1894年、新潟県小千谷に生れました。1911年中学を卒業し、画家を志し上京。藤島武二を訪ね、彼の内弟子になります。1912年慶應義塾大学に入学、1917年卒業論文「純粋経済学」を全文ラテン語で書きます。1920年慶應義塾大学予科教員に推され、この頃から文章を執筆し始めます。上田敏の『海潮音』の雅文調、美文体に激しく反撥し、萩原朔太郎の『月に吠える』に大きな衝撃を受けます。順三郎が朔太郎に出会ったことは、近代詩、現代詩を語る上で、不可欠の出来事で、朔太郎の『月に吠える』(1917)と順三郎の『Ambarvalia』(1933)は、大正、昭和期を代表する詩…
『全集・現代文学の発見』学藝書林刊の小さな新聞記事を読んで高校生の私は本屋へ走った。全十六巻のうち最初の配本は『第七巻 存在の探求 上』昭和四十二年十一月十五日 第一刷発行 七百五十円。埴谷雄高『死霊(全)』が幻の書と紹介されていた。わくわく。早速読んでみた。なんだかわからないけれども、じつに刺激的だった。「これぞ、存在の探求だ」。当時、哲学(存在論)に興味をもっていた。以来半世紀余。先だって病床で未完の『死霊』を読了。 この『全集・現代文学の発見』学藝書林は、人生の方向を決定づけた全集と、今にして気づく。だが、十六巻全部を購入したわけではなく、興味を惹かれた十一冊が本棚にはある。当時から完全…
「帶」~詩人・善盛さんの時代 現実の異端を書いた詩人の消息 トークと朗読 柴田望 in俊カフェ 2023年12月8日 本日はご多忙の中お集まり戴き、誠にありがとうございます。昭和二(一九二七)年の今日、十二月八日が詩人・古川善盛さんのお誕生日になります。大切な記念の日です。一九四八年の十二月八日が柴田の父の誕生日、一九四三年の十二月八日が六十年代のロックバンド、ドアーズのジム・モリソンの誕生日です。私は高校時代、ドアーズやルー・リードの影響で、「知覚の扉」、オルダス・ハクスリー、ウィリアム・ブレイクを読み、ディラン・トマス、ランボー、ビート・ジェネレーション、ケルアック、ギンズバーグを経由して…
松岡和子先生の半生を描いた書籍!読みたい。 「 完訳を成し遂げた翻訳家の仕事と人生はこんなにも密接につながっていた」 草生亜紀子 『逃げても、逃げてもシェイクスピア―翻訳家・松岡和子の仕事―』 | 新潮社 www.shinchosha.co.jp「シェイクスピア 全作品を完訳した 松岡和子 さんの初翻訳は「夏の夜の夢」(演出・美術・出演 串田和美 1994年シアターコクーン)で、串田によるオーダーが始まり。」 『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』4月17日、新潮社より発売。なんと気になるタイトルでしょう!#シェイクスピア 全作品を完訳した #松岡和子 さんの初翻訳は「#…
はい今月もやってきました、「文芸誌を一年間読んでみるチャレンジ」参加者各位による定期報告会でござんす。 果たして繁忙期の面々は膨大な文芸の海を渡り切ることができたのか…!? その結果をしかとご高覧くださいませませ。 アクロバティックなチャレンジについてはこちらhimasogai.hateblo.jp 群像四月号・Sさん 色々あってまだ半分でした 毎年四月号には『震災後の世界』の特集があって、今回は古川日出男さんが書いている。『キカイダー、石巻、鳥島、福島』は「時間が飛ぶ感じ」がすごく魅力的 古川さんはいつもニット帽をかぶっているけれど、脱いでいる写真がカッコいい 柴崎友香さんと古川日出男さんの…
www.youtube.com 日本の首相がアメリカに公式訪問したというニュースの中で、この「YOASOBI」というワードとともに若い女性が紹介されていて、急に気になり始めた。 TVの画面に映っていたのはボーカルの女性で、もうひとりの男性が「コンポーザー」と言うことらしい。 で、「YOASOBI」が発作的に気になり始めてから早速したことは、アマゾンでCDを買うというなんとも2010年より以前のような行動だったわけです。気になるアーティストを見つけたらアルバムを聴いてみるというのが、ぼくの原則的なやり方。 それでCDが到着するやいなや、期待とともにスバヤクCDプレイヤーにセットしてスタートを押す…
詩の中の風景-くらしの中によみがえる (中公文庫 い 139-2) 作者:石垣 りん 中央公論新社 Amazon 石垣りんが近現代詩を一篇ずつ紹介しているエッセイ集である。素朴ながらも心を打つ詩が多く紹介されていて、読んでいて心から感情があふれ出しそうになる。石垣自身もそのような解説をよくしていて、詩というものは我々の堰き止められた感情をあふれ出させるものだと改めて感じた。 詩というと難解なイメージがあるが、石垣の紹介する詩は少しも難しくない。簡単な言葉で単純なことを書いている。だがそれでありながら人の心を打つ力を持つ詩が多く紹介されている。詩というものは障害を乗り越えるもの。それは我々の凝り…
2023年5月、阿吽塾から刊行された藤原安紀子(1974~)の詩集。現代詩書下ろし一詩篇による詩集懐紙シリーズ第八集。著者は宇治市生まれ。 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索
1974年7月、国文社から刊行された宮城賢(1929~2008)の詩集。装幀装画は安達三男。著者は熊本県八代郡氷川町生まれ。 これらの作品は、私の書いたものとしては異例に早くヘソの緒を切って落されることになった。時期的には、一九七二年一月から七三年六月までの一年半に書かれたもので、一冊に編むにあたって半年ごとに仕切りを設けてみた。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲがその仕切りである。ⅠとⅡの間に、実生活上の転居が介在しているのだが、この転居は、上京して二十数年を経た間に私が経験したどの転居よりも、時代の現実とぶつかり合うことをしいられた。私たちは、もはや、自分の「願ふ場所」を現世での〈ついの棲家〉として選ぶことが不可…
以前から山宮允を取り上げなければならないと思っていたのだが、彼の主たる著作や翻訳を入手するに至らず、言及してこなかった。それらを古本屋で見出せなかったのもひとつの要因ではあるのだが。 それでも前回、山宮と川路柳虹が詩話会の提唱者で、大正時代の詩のムーブメントに大きな役割を果たしていたこと、及び山宮の主著ではないが、『英米新詩選』という英米詩の対訳本を購入したばかりなので、ここで一編を草しておきたい。その前に『日本近代文学大事典』の山宮の立項の前半を挙げてみる。 山宮允 さんぐうまこと 明治二五・四・一九~昭和四二・一・二二(1802~1967)詩人、英文学者。山形市の生れ。威一の三男。別名虚実…
3月、わりとあっちこっちに行ったりライヴしたりで、まあまあやることがあった。先月よりは少し減の10冊。 1.シモーヌ・ヴェイユ 田辺保訳『工場日記』筑摩書房(ちくま学芸文庫) www.chikumashobo.co.jp 生前はほぼ無名なまま、終戦を目前にして34歳で去った哲学者シモーヌ・ヴェイユ。かつて『重力と恩寵』にトライするも、その難しさと長大さに圧倒されて未だ読み切れないでいる。『工場日記』を先に読み始め、先に読み終わる結果となった。 哲学教師の仕事を休職し、未熟練工として各地の工場で働いた8か月間のルポルタージュである。マルクス主義を熱心に研究し、後には理論的な批判も展開したヴェイユ…
♬ 果てしない大空と 広い大地のその中で・・・ 歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い・・・ こごえた両手に 息をふきかけて しばれた体をあたためて・・・・♪ (『大空と大地の中で』作詞・作曲:松山千春) 昭和60年頃、大学地下食堂でハチヤ君たちと食事をしていた。 ハ「ねぇ、のりもさん、昨日のヒットスタジオ見ました?」 私「え?見てないけどどうしたの?」 ハ「きのうね、松山千春が出て『大空と大地の中で』をうたったんですよ。 よかったなぁ・・・・」 私「♪大空とぉ~~~ はてしない~~~ って歌う、あの絶叫歌?」 ハ「もぉぉぉ~~~。 ♪ はてしぃない~~~おおぞらと~ で、 歌詞がまちがっ…
井上法子「永遠でない方の火」を読んだ。 水がかたちを変えて何度も登場する。色だと青が多くて、たまに火の赤さが浮かぶ。詠まれている世界の輪郭はファジーで、主体の存在もあまり意識されない(失恋の章はべつにして)。イメージも日本的な風景に限定されなくて、地球のどこか(かなり北とか)、自然と一体になって暮らす場所がしっくりきた。定型の中で綺麗に情景が描かれている歌もあるし、音の続き方が型からはみ出てリズミカルな歌もあって、現代詩の雰囲気を強く感じた。 月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい 波には鳥のひらめきすらも届かないだろうか 海はあたえてばかり もうどこにも寄らない、淡い風を抱…