この大火は明暦3年1月18日に出火し、20日までの2日にわたって江戸城の外堀以内のほぼ全域を焼きつくしました江戸三大大火(明和の大火・文化の大火・明暦の大火)と呼ばれています。 ※新暦の1657年3月2~4日※ この大火は、出火の状況から振袖火事(ふりそでかじ)、火元の地名から丸山火事(まるやまかじ)、この年の干支から丁酉火事(ひのととりのかじ)と呼ばれました。 江戸城の江戸城も天守閣をはじめ本丸、二の丸、三の丸、大名屋敷多数、市街地の大半を焼失し、30000~100000人の死者が出たとされています。 この火事で第4代征夷大将軍徳川家綱(1641~1680)の補佐をしていた保科正之(1611…