田村成義

田村成義

(アート)
たむらなりよし

1851-1920、明治・大正の興行師。

東京日本橋生まれ。伝馬町の牢獄に勤務、のち法律を学び代言人として、久松座と新富座の紛争を仲裁したのを機に、新富座の法律顧問となった。菊五郎が一時、守田勘弥と不仲になり、千歳座(現明治座)に出演した明治18年11月、手持ちの材料を提供して黙阿弥に『四千両小判梅葉』を書かせ、大当たりをとったのが最初の興行となった。

守田勘弥の死後、歌舞伎座を経営。明治44年の帝国劇場開場後、田村の知らぬ間に歌舞伎座の株が松竹に売り渡され、大正2年、市村座の経営に専念。不遇な六世尾上菊五郎と初世中村吉右衛門の二人を市村座に出演させ、いわゆる菊吉の市村座時代という黄金時代を作り、二人を育てた。

著書に『無線電話』『続々歌舞伎年代記』がある。『無線電話』は三木竹二編集の「歌舞伎」に明治34年から「室田武里」名義で連載され、森鴎外も愛読、上田敏がその会話体を「口語体の最も熟達したものだ」と賞讃した。

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