田山花袋の作。初出:明治42年10月、左久良書房刊
花袋の義兄が住職をしていた寺に、小林秀三という青年が下宿していた。日露戦争に従軍した花袋が帰ってみると、彼は死んでいた。花袋は、生前に一、二度見かけたことのある小林青年の日記を中心に、両親や友人たちに会って聞いた材料を使って、この作品を書いた。しかし、事実そのものではなく、田舎で埋もれたまま死んでいく青年の上に、不遇だった花袋自身の悲哀を投影し、さらに小説的な作為も加えている。
自然主義文学の特色の一つだが、この青年の姿には、コレが人生だという実感がある。利根川べりの自然描写もすぐれている。