夏休みに祖父母の家を孫であった自分がたずねた時をよく思い出す。明治期の名残とどめた黒い板敷きの台所は薄暗い。よく使うであろう砂糖入れのつまみには埃がうっすらとたまっていたのが目に焼き付いている。掃除を欠かせぬ祖母にはそうした汚れは存在しないかのようだ。 老化が進めば老眼になる。見損ない、見えないものがじわじわと増大するのだが、その変化に気がつかなくなる時がくる。それが痴呆というものだ。 それだけのことなのだが、それは生活世界の微細構造と拡がりを周辺から浸食する。見えないものは忘れ去られ、忘れ去られたものは存在しない。老人の買いだめ癖もこのあたりが要因になるのであろうか。 これを第二ペルキピ原理…