文芸評論家、新聞記者。 朝日新聞学芸部時代「子不語」名義の「作家Who's Who」(1973〜1975)、週刊文春「風」名義の書評(1976〜1983)が有名であるが、匿名性をこれ幸いと「書評」に名を借りた作家罵倒に、多くの作家から敵視された。川上宗薫に対する「書評」名目の罵倒に対する佐藤愛子の反撃、筒井康隆に対する書評に対する本人からの反撃は有名。
語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解のヤカラまでが、平気で口にする言葉となっている。ほとんどの外来語と同じく、広く人口に膾炙するにつれて拡大解釈されたり捻じ曲げられたりして、原意の厳密さが擦り減ってきていることだろうけれども。 みずから一次情報にまで遡って、動かしがたき事実を確かめながら、各人独自に判断ができる、良い時代になったという人がある。本当だろうか。 検索機能が確保されてあることと、活用…
『血と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』 東雅夫(編)/2005年/342ページ 優しく獲物を誘惑しては、首筋に牙をたて甘い鮮血を啜る永却の不死者、吸血鬼。エキゾティックでエロティックなその妖魅は、柴田錬三郎から三島由紀夫まで古今の人気作家たちを魅了してきた。人間輩には及びもつかない耽美と背徳の淫靡な世界を描きつくす、吸血鬼小説アンソロジーの決定版!至高の美、ここに極まる。 (「BOOK」データベースより) 編者は人選・内容ともにバラエティ豊かなテーマ別アンソロジーを編纂している東雅夫。本書も百物語アンソロジー『闇夜に怪を語れば』、髪の毛アンソロジー『黒髪に恨みは深く』などと同様に資料的価値…
いまも新刊で買えるのかどうか分らないが、田中慶太郎編譯『支那文を讀む爲の漢字典』(研文出版1962,以下『漢字典』)という辞書がある。これはもともと1940年に田中慶太郎の文求堂から刊行されたもので、1962年の四版から版元が「(山本書店出版部)研文出版」に変っている。その際には長澤規矩也の「重印の序」も附された。手許にあるのは1994年の十版で、高校生の時分に新刊書店で購ったのだった。 この書物の実質的な翻訳者が松枝茂夫であるということについては、かつて安藤彦太郎が、次のように書いていた。 中国の古典を中国のものとして読むための手ごろな字典の刊行を企画した田中慶太郎という人物は、具眼の士とい…
百目鬼恭三郎という人は、丸谷才一の新潟高校から東大英文科までの同級生で、朝日新聞の記者として、丸谷の『裏声で歌へ君が代』が出た時一面で宣伝したのを江藤淳に非難されたのと、その名前の恐ろしげなので有名だが、「風」という変名で書いた『風の書評』の正続を前に読んで、なかなか博識な人だと感心したことがある。 だが、生前最後の著書となった「乱読すれば良書に当たる」は、『旅』や『Voice』などに載せた古典紹介エッセイを集めたものだが、読んでいて、博識ぶりには驚くが、この人とは合わないなあ、とつくづく感じた。 たとえば、シェイクスピアが面白くない、面白かったのはソネッツだけだとか無茶なことを言うのである。…