『文藝市場』の大正15年4月号に、「硫酸と毒蜘蛛」という何やら変わった戯曲が掲載されていた。作者の名は矢橋公麿。この人、翌月の『文藝市場』5月号に岡田龍夫と連名で「マヴォ大聯盟の再建に就て」というアピールを出している(これは『文藝市場』だけなく他の雑誌にも同時掲載された)ので、マヴォの人だという当たりはついた。大正後期、ダダだの未来派だの構成主義だの流入して美術や演劇、詩を中心とした文芸のモダニズムが一挙に開花したんだけれど、それを牽引した主要な芸術集団の一つがマヴォだ。これは1923年ドイツから帰国した村山知義を中心に結成されたグループで、リノカットやら構成物、立体作品、舞台装置、演劇、ダン…