東京生まれだが、5歳から疎開先の福島県で育つ。小学生時代からミステリがすきであったが、江戸川乱歩は嫌いで、横溝正史や久米元一の少年ものを読んでいた。
中学二年の頃から、観た映画についてすべて、題名、監督名、脚本家名、原作者名などを大学ノートに書くようになる。これで覚えたさまざまな人名が、のちの名作『地球のための紳士録』につながることになる。
磐城高校時代は新聞部に所属。同学年に、「ミステリマガジン」などでイラストを描いた山野辺進がいた。
大学入学を機に、家族と一緒に東京に戻る。
明治大学にはミステリ研究会がなかったため、「ヒッチコックマガジン」の創刊直後、ファンクラブの会合にすぐ参加。そこに参加していた「ワセダミステリクラブ」創設者の大塚勘治(仁賀克雄)にさそわれ、「ワセダミステリクラブOB会」に参加。のちに「幻影城」を創刊する島崎博らと知り合う。
だが、ミステリ以外の「漫画や映画」などのサブカルチャー全般に興味があったため、いごこちが悪くなり、曽根忠穂(のち「奇想天外」編集長)や宮田雪(のち脚本家)らと、別に「OFF」という映画・漫画などを論じる同人誌を作った。その中で鈴木清順映画を誉めたため、やはり鈴木清順を初期から評価していた、小林信彦に注目される。
「石上三登志」名義で、レン・デイトン原作の映画「国際諜報局」の映画評を投稿して、雑誌「映画評論」で評論家デビュー。
以降、本業のかたわら、「キネマ旬報」「ミステリマガジン」「奇想天外」「スターログ」などに寄稿する。また、大林宣彦監督ともCMディレクター時代からの盟友で、多くの大林映画にゲスト出演している。
また、70年代後半には、筈見有弘、増淵健らと共同で、季刊雑誌「映画宝庫」を刊行した。
近年は、「アート・アニメーションのちいさな学校」で特別講師をつとめている。