名前の通り、石見(現在の島根県)にあった銀山。鎌倉時代に発見され、室町期に本格的な開発が進む。戦国期には毛利、尼子らの戦国大名の重要な資金源として、争奪の対象となった。のちに江戸時代になると天領(幕府直轄領)となり、奉行・代官が置かれた。 最盛期は江戸時代初期で、この時期は世界最大級の銀山であったと推測される。 2007年、アジアの鉱山遺跡としては初の世界遺産指定。 2008年には遺跡を後世に伝えるための石見銀山基金募金委員会が設立され、官民協働で保全活動がされている。
石見国邇摩郡の北東端に位置する港町。現在の島根県大田市仁摩町宅野。沖合に韓島(辛島)、麦島、逢島があって北風を防いでいる。17世紀初頭には町場が形成されており、石見銀山への物資補給基地であったともいわれる。 益田氏と宅野氏 17世紀初頭の宅野とその住人 石見銀山との関係 参考文献 益田氏と宅野氏 平安末期には益田氏の支配がおよんでおり、元暦元年(1184)の「源範頼下文案」に藤原(益田)兼栄・兼高の所領の一つとして「毛(宅カ)野別符」がみえる(「益田家文書」)。 貞和七年(1351)三月の「益田兼忠去渡状」には、宅野別符の地頭職が益田兼忠の「重代本領」とあり、益田氏本宗家が代々領地してきたこと…
石見国邇摩郡西田の有力者。西田に屋敷を有し、銀山への物資輸送に関わる役銀(駄賃役)の徴収も請け負っていた。臼井氏については西田の字「鋳物屋」や、「鋳物屋」から峠をはさんで北隣に位置する野田集落との関連も指摘されている。 西田の有力者・臼井氏 西田の字「鋳物屋」と鉄資源 参考文献 西田の有力者・臼井氏 慶長二年(1597)十二月十日、邇摩郡西田に賦課された税額を書き上げた「地銭・諸役銀付立写」が作成された。同文書に記載された税は三種類であり、すなわち屋敷の間口を基準に賦課された地銭、物資輸送に関連する税である馬役銀、酒税である酒屋役であった。 この「地銭・諸役銀付立写」には毛利家臣・羽仁美濃守元…
「ボーロ」「天ぷら」「カッパ」「オルガン」「ビードロ」 これらはポルトガル語が語源となって現代に伝わった言葉です。 遠く離れたポルトガルの言葉が日本に伝わったのは、「南蛮貿易」で日本とポルトガル・スペインがつながっていたからです。 戦国時代、日本の戦国大名たちは銀などの貴金属と引き換えに火薬の原料である硝石や高級絹織物の原料である生糸をポルトガル人・スペイン人といった南蛮人から購入していました。 今回は南蛮貿易の大まかな内容や輸出入品、石見銀山の銀産出拡大に貢献した「灰吹法」、江戸時代初期の朱印船貿易との違いなどについて解説します。 ぜひ、参考にしてください。 ランキング参加中歴史 写真AC …
石見国邇摩郡西田の有力者。西田に屋敷を有し、温泉津と石見銀山をむすぶ輸送業を営んでいたとみられる。銀山への物資輸送に関わる役銀(駄賃役)の徴収も請け負っていた。 西田の有力者・中祖氏 温泉津と銀山を結ぶ輸送業 西田と大国を結ぶ道 参考文献 西田の有力者・中祖氏 慶長二年(1597)十二月十日、邇摩郡西田に賦課された税額を書き上げた「地銭・諸役銀付立写」が作成された。同文書には毛利家臣・羽仁美濃守元胤が署判を加えており、宛所は臼井善教入道、中富三郎右衛門、中祖弥四郎、井藤又右衛門、目代木工助となっている(「五国証文」)。宛所の五名は当時の西田を代表する有力者とみられる。 kuregure.hat…
(4/6) 休日の土曜日に、島根県の益田市でブルースザブッチャーがライブをやる! youtu.be I田さんと共に200キロ車を走らせて、聴きに行った。どうせならと、朝9時に出発して、訪れたことのない世界遺産・石見銀山経由で。ずっと気になっていたマイスター資格を持っている方がやっているパン屋さんにも寄った。 どちらも非常に興味深かったです。電動アシスト自転車をレンタルしたのだが、それも大正解。天気良かったし、桜は美しく咲き誇って、言う事なし! 益田でのブッチャーのライブを仕切っているのは栗栗珈琲のオーナーさんだと、ALIVEのU杉店長に教わっていたので、そちらにもご挨拶と御礼に行った。I田さん…
今回はずっしり効く世界遺産の温泉・温泉津(ゆのつ)温泉について! 温泉津温泉「元湯」 目次 温泉データ 特徴 歴史 訪れた感想 後書き 温泉データ 所在地 :島根県大田市 泉質 :ナトリウム(・カルシウム)ー塩化部泉 源泉温度:45~50℃ pH :6.0~6.3 その他 :世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」 「国の重要伝統的建造物群保存地区」指定 特徴 温泉津温泉は山陰・島根県の日本海側に位置する温泉地。 実はかなり歴史のある温泉で湯治場として栄えていた過去がありますが、2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されたことで、再度有名になりました。 石見銀山…
石見国邇摩郡西田の在地領主。官途名は甲斐守。天文十七年(1548)八月、西田村八幡宮の拝殿を建立した。石見国邑智郡川本郷を本拠とする小笠原氏の一族ともされる。 天文十七年の拝殿建立 石見銀山周辺への小笠原氏の進出 参考文献 天文十七年の拝殿建立 西田村八幡宮(現在の水上神社)の天文十七年(1548)八月十日付棟札によると、この時、西田宮の社内に拝殿が建立された。棟札には「源朝臣西田甲斐守長識」のほか、「神主治部大夫鏡運」、「大工木工允」の名がみえ、本願主として「清源寺陽厳永□」が記されている。 清源寺は西田地内の曹洞宗寺院だが、水上神社(八幡宮)の北に隣接して「神宮寺」という字名があり、ここが…
石見銀山と銀山の外港温泉津を結ぶ街道の中継地点に位置する宿場町。現在の大田市温泉津町西田。銀山と温泉津の間の物資輸送の拠点として栄えた。また16世紀末の史料から、銀山や温泉津周辺で活動する人物が住んでいたことも分かっている。 西田の町 西田地域の支配 石見銀山と物資輸送 西田の住人と周辺地域との関係 関連人物 参考文献 西田の町 天正三年(1575)、薩摩から上洛していた島津家久は山陰を経由して帰国の途に着く。六月二十四日、石見銀山に一泊した家久は、翌二十五日に出立し、「西田町」を通過して同日に「湯津」(温泉津)に到着している(「中書家久公卿上京日記」)。「西田町」の名称から、すでにこの頃には…
ワーケーション カミさんがこの3月末で勤続5年のため契約更新せず退職する。退職日に向けてたまった年休を消化するということだったので、旅行に行こうという話になった。 まとまった休みがとれるので、以前からふたりで行きたいと考えていた出雲大社を目指し、山陰旅行に出発した。 カミさんは年休である。店主はクライアントさんにお願いし、定例のミーティングは翌週に調整していただいた。しかし緊急の場合にはいつでも対応しますとお伝えし、また1時間程度の定例ミーティングについては、Webで対応させていただくことに。ワーケーションである。 1日目 今回の旅は鉄道や飛行機+レンタカーも考えたが、旅程にも余裕があり、乗り…
鉱山を求め続けた家康 いろいろな視点から歴史を眺めてきたこの番組だが、今回は金銀という視点から戦国時代を読み解く。戦国日本を押さえた天下人徳川家康は金銀王であり、当時の世界有数の金持ちでもあったという。 そもそも家康と金銀との出会いは最初に今川家の人質時代に触れた、今川氏が作らせた蛭藻金という金貨であったろうという。今川氏はこれを軍資金として使用していた。桶狭間の合戦で今川義元が亡くなったことで家康は自立するが、その時から金銀を産する鉱山を求め始める。家康のライバルであったのが武田信玄だが、その無類の強さは甲斐の黒川金山や湯之奥金山などで産出する金による経済力によるものであった。それが武田家滅…
どう行くシリーズ、山陰に入り島根です。 日本海沿いと中国山地の山の中の二段構えで駅数も多い。はたしてどれだけたどり着けますやら。 見ていきましょう。 1.掛合の里(雲南市/旧掛合町) 道の駅 掛合の里 | 雲南市観光協会|うんなん旅ネット 車のみ ここも「道の駅第1号」 雲南市民バス・吉田大東線、出雲大東駅・南大東駅・木次駅より乗車、掛合の里下車。 一番近い木次駅から約40分、運賃はどこから乗っても200円。平日9便、休日4便。 雲南市民バス時刻表 | 雲南市ホームページ 木次線も木次駅までなら昼間を除き概ね1時間おきにあるので、わりあい行きやすいほうではあると思います。とはいえ通勤・通学路線…
昨日は良い天気、久しぶりやる気モードのスイッチON フル活動でした。 朝食を終えて 花壇約四畳半の広さの土をスコップで掘り返し土を日に当てる作業、一心不乱土を掘り起こし作業は肉体労働で疲れました。 休みがてらデジカメで牡丹と鉢植えの石楠花、綺麗な花を パチリ! 牡丹の花は、雨風に弱く花弁が雨に濡れると可愛そうな花になります。 晴れていたのでグッドタイミング 綺麗に撮りました。 次は、ファンヒーター収納のお掃除 “6ヶ月お疲れ様” と言い清掃 電源コードを束ねて タンクの灯油を抜き 油受け皿内の桐油を抜いて ファンフィルター・油フィルターを掃除、本体の汚れを拭き取る。 綺麗になった本体をポリ袋に…
最後の1000km 無職になって1年余、中国・四国地方を3日間で1000km前後走行する旅を3回した。4回目の今度は石州とも呼ばれる石見(いわみ;島根県西部)を目指した。こんな車での強行旅程は最後だと思って出発した。 世界遺産の石見銀山は、大田市大森にある江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山であった。銀山公園駐車場の1台だけ空いているところに運良く駐められた。間歩(まぶ)と呼ばれる坑道のうち、龍源寺間歩まで観光車両は入れないため40分ほど歩いた。旧坑道は頭を打ちそうなところがあったが、歩きやすく整備されていた。 引き返して五百羅漢や代官所があった大森の町並みにも行ったので、全部で2…
石見の国の石見銀山は、最盛期日本最大の銀山で世界の 銀産出量の三分の一を占めていました。 そんな石見銀山は石見の国 今の島根県にありました。 当時の鉱山の労働は過酷で、酸欠に粉塵などで 三十歳まで生き延びた鉱夫は、長寿のお祝いをしたそうです。
4月27日(土)から、道の駅 瑞穂(島根県邑南町)において本城の御城印が発売されます。1枚300円。 販売開始日:2024年4月27日(土) 販売価格:300円(税込) 販売場所:道の駅 瑞穂 案内所カウンター collection.kojodan.jp 合同会社たどころの有井さんからコメントをいただけたのでご紹介します。 有井さんからのメッセージ 安芸国と石見国に勢力を誇った高橋氏。1361年に出羽氏を滅ぼし出羽郷を手に入れると、出羽郷支配の拠点として本城を築城し高橋氏の一族が居城し、後に本城氏を名乗りました。1530年に、毛利元就の攻略により高橋氏が滅ぼされると、本城氏は出雲に拠点を移し尼…
我龍のイベントで訪れた広島県府中市上下町。 ikazuti-d.hatenablog.com 白壁の街並みが有名なようで、朝早くの現地入りを利用して軽く周辺を散策してみたが、なかなか趣のある雰囲気だった。 石見銀山へ続く街道で宿場町だったのだろうか。 今週末もこの町へ足を運ぶ予定。 ikazuti-d.hatenablog.com なんと、なんとか用意した千秋楽最後の17席もあっという間にソールドアウト。 千秋楽はこの上下町にある国指定の大衆劇場での出演だ。 街並みをゆっくり散策とはいかないな。 ikazuti-d.hatenablog.com
石見国邇摩郡波積郷の土豪。仮名は助五郎。もとは都治郷を本拠地とする国人・都治氏の被官であったが、後に毛利氏に仕えて「馳走」し、温泉津や温泉三方にも屋敷や給地を与えられた。 国人・都治氏の被官 毛利氏との関係強化 石田主税助春俊との関係 毛利元就死後 参考文献 国人・都治氏の被官 「嘉戸家文書」所収の由緒書によれば、嘉戸(賀戸)氏は和気清麻呂の子孫で、石見国那賀郡都治郷を本拠地とする国人・都治氏から分かれた一族であったという。もとは下都治に居住しており、都治地域の土豪の一員であったが、後に波積郷の「易久保白兎」に居住したという。 永禄四年(1561)九月、賀戸氏とみられる「門(かど)亀若」という…
石見国邇摩郡西田の住人。西田に屋敷を有していたことが史料にみえる。江戸期に西田村の庄屋となった勝屋家との関連が想定されている。 大森田村屋の所蔵文書 水上神社造営と西田村庄屋・勝屋家 参考文献 大森田村屋の所蔵文書 16世紀末、勝屋肥後守は石見国邇摩郡西田に屋敷を構えていた。慶長二年(1597)十二月十日付「地銭・諸役銀付立写」*1には、彼が西田に屋敷壱所を有し、地銭(屋敷の間口を基準に賦課された税)3匁を賦課されていたことが記されている。 kuregure.hatenablog.com なお「地銭・諸役銀付立写」は、毛利氏領国であった石見・出雲・伯耆・備後・安芸5ヵ国内における毛利氏関係文書…
しまなみ海道の旅 新幹線 往路 マイナーな駅(岐阜羽島)からマイナーな駅(新尾道)への切符手配に苦労したことは、先に書いた。こだま、のぞみ、こだまと二回も乗り換えがある。乗車時間2時間半。外国人の同乗者が多い。 トンネルをぬけて桜やまた桜 尾道ラーメン 新大阪駅での大慌ての乗り換えの果てにやっと着いた新尾道駅。申し訳ないが岐阜羽島駅より寂しい。駅前でレンタカーを借りて、まずは近くの有名ラーメン店で昼。「尾道ラーメン」は当地の名物とのこと。豚骨スープの醤油味で当方にはすこし辛い。背脂が浮いている濃厚な味で、麺は細麺。正午前だったのですぐに入れたが、出る時には待ち客がかなりあった。 新尾道駅 向島…
Mistral7BベースとしたMoEモデルでなかなか流暢な日本語を生成するらしいので試して見ました。ColabでT4でトライしてみました。 モデルはこちら。作者に感謝。 huggingface.co 質問:まどか☆マギカでは誰が一番かわいいか名前と理由を教えてください。 答え:「まどか☆マギカ」というアニメ作品において、様々な可愛いキャラクターが登場しますが、特に多くの人から支持を得ているキャラクターは「冴香美晴」と言われています。理由としては、彼女は普段はおとなしく内気でありながらも、魔法少女に変身すると豹変して元気いっぱいに戦う様子や、親友のほむらちゃんとの関係性が可愛らしいからです。また…
先日のパタゴニア旅行において、チロエ島ツアーでたまたま同席し、どういうわけか同じクレジットカード被害に遭い、謎に連帯を強化したドイツ人が現在日本に旅行に来ているというので、なんという偶然か東京で会うことになった。 chevrefeuille.hatenablog.com 偶然WhatsAppを交換していたことで現地の警察にクレジットカード被害を届け出ることができ、奪われた金銭を回収する一助となったわけで、彼女は本当に私にとっては命の恩人である。カードの一件後、彼女とそれほど頻繁にコンタクトを取っているわけではなかったので、いつものパターンで関係がフェードアウトしていくのかと思ったが、どういうわ…