パソコンは再起動したらなおりました。昨日の続きです。 明治時代、淀川流域では大きな被害をもたらす洪水が頻繁に起こり、淀川改良工事が始まりました。改良前の淀川は、川幅が狭く蛇行しており大阪の街の中心部を流れていたため街の中心部から離れた北側に新しく川幅を広げて造られました。 昭和58年、旧淀川分流点直上流部に大阪府と兵庫県への上水道と工業用水道供給の為に「大阪大堰」が造られました。 この標識の手前を左へ曲がって淀川から大川(旧淀川)へ入っていくと毛馬閘門があります。 大川に流れ込む水量を調節するとともに船舶の通過をスムーズにさせる役割があります。 通過した後ろの扉が閉まってきます。 扉がかなり閉…